#06 奇人、天才、そして変態

今日から私は魔女皇帝として、それが代々住み着いた城に居を構える。
真っ新な生活が始まるのだ。

赤ん坊の時に今の母親に拾われてから魔闘に参加するまで約二十年。
その間、私は片手の指でも十分に数えきれる程の回数しか都会に行った事がない。
都会に行きたいと思った事が無い訳ではないが、その話をする度母親があまり良い顔をしなかったから、無理をして行く必要性を感じなかったのが事実。
それ故「超」がつく程世間に疎いというのに、右も左も分からない新境地でやっていけるのだろうか…ましてや自分の様な小娘が魔界を治めるような立場に立つなんて、もはや魔界の堕落は確定だなとガラス一枚隔てた所で自分を見ている様な心地だ。

しかし聞いたところによると田舎育ちの私とは対照的に、母さんは若い頃、都会の中の都会、魔界の政治経済のど真ん中に身を置いていたらしい。
もっと詳しく訊いてみると、魔界の議会の一員であったというのだから驚きだ。
議会とは言っても、魔界では女帝こそが法律。
有って無いような物だったらしいが、それでも一握りの者にしか所属を許されないのだから簡単になれる物で無い事も確か。
だとしたら、魔女として成功していた彼女を、一体何が森の奥の辺鄙な田舎に追いやったのか…。


実家から都会までは相当な道のりを行かなければならない。
車が無理なく通れるくらい舗装された道まで出て、そこで彼と落ち合う約束をしているのだが、見た目にもルーズでヘンテコな印象しか与えない男なだけに、ちゃんと彼が来ているか心配だ。
気の遠くなる様な距離を歩いていかなければならなくなったら、良い歳をしていても流石に泣いてしまいそう。

いよいよ道が開けると、ほっと一安心。
すぐわかる場所に彼は居た。
道の端っこにちょこんと駐車している白いミニバン。
運転席に座って俯いている男がそうだ。
彼と会うのは魔闘決勝戦の時以来。
私の魔法を見てやたらと興奮していたのは嫌でも視界の端に収まっていたが、正直気持ち悪くてしょうがなかった。
彼の眼鏡が煌々と光っている所を見ると、ここからは見えないがどうやら膝にノートパソコンを広げているらしい。
真面目な表情を浮かべているから仕事でもしているのかも。
今まで悪趣味な程に追い回されていたけど、あれで意外に忙しい男だ。

それもその筈。
彼は魔女皇帝の管理運営の元で日夜研究に明け暮れる「ウトガルド研究施設」のトップに君臨する天才、マルバ・スカーレットなのだから。
天才の名に相応しく…と言えば偏見になるのかもしれないが、髪は相変わらず伸び放題。
車での移動とは言えど遠方まで来ているというのに、服装はいつもの白衣だ。
魔闘会場ではしっかりスーツで決め込んでいたが、あれは普段着ではない。
正装しないと会場に入れないから仕方なくクローゼットの隅っこから引っ張り出して来たのだろう。


どうしてこんな天才と私に繋がりがあるのかというと、この男に母さんの部下であった過去があるからだ。
何と顔の広い天才だ事。
母さんが研究に没頭していたなんて話は聞いた事がないから、この男の方が議会に在籍していたのだと思う。
何故か母さんの事を「ボス」と呼んで慕っているが、コイツの私を見る目は慕っているボスの娘などと言う括りでは無い。
私が一度に二つの魔法紋を描く事が出来る特異体質だと知ってからというもの、研究者としての凄まじい執着を見せつけられているのだから間違いない。
何度も辺鄙で不便な場所にある私の実家を訪れては、研究のために私を預かりたいなどと母さんに頼み込んでいたらしいし。
幸いにも、母さんがきっぱりと拒絶してくれていたから今まで最悪の事態にはならなかったが、今日からこの男の追尾を自分で排除しなければならないのだと思うと溜息が自然に漏れてしまうのも致し方ない。

実は、魔闘に参加して母さんを助けないかという話を持って来たのも彼。
しかしそれも都会へ私を引っ張りだしてくる口実で、あの変態は私の事を追い掛け回して研究したかっただけ。
母親を罪人として連れて行かれて茫然自失の私に、魔闘への参加を提案して来たあの時の顔は生涯忘れられないだろう。

魔闘が始まる前も、散々火に油を注ぐ様なサディスティックな言葉を浴びせられた様な気がするけど、あの状況下でそんなの聞いちゃいない。
私があの時悲しみに震えていたとせいぜい勝手に思ってれば良いわ。

「おはようございます」

運転席側の窓を軽くノックして挨拶。
前髪が重たくかかった眼鏡の向こうで、マルバが私の姿を捉えた。
彼が」にっこりと笑って窓を開けたので、もう一度満面の作った笑顔で同じ様に挨拶。
最後に心の底から、「変態」と蔑んでやった。
マルバの表情が凍る。

「僕の提案のお陰でボスが無事に帰ったってのに随分な言い様じゃないか」
「変態に変態って言って何が悪いのよ変態」
「歩くか?」
「乗せないとそのパソコン壊すわよ」
「早く乗りなさい」

助手席を開けられたので、”仕方なく”そちらに座る。
別に後部座席でも良かったのに。
ちなみに私達は対等に話しているが、私は二十歳でマルバは四十代。
私より二倍以上の時間を生きているというのに若者の扱いに慣れているのは、本人曰く職場で若い研究員と毎日顔を突き合わせているかららしいが…。

「この日が来るのを待ってたよ」
「全部マルバの思い通りね。おめでとう」
「いやぁホント夢のようだ。知ってるか?研究所ってヴィーンゴールヴのお隣さんなんだぞ?」

ヴィーンゴールヴは私が今日から住む城の名前だ。

「幾ら田舎者でも知ってるわよそれくらい」
「都会に出るという事はそれだけ多くの出会いがあるという事だ。そんな刺々しい付き合い方じゃ上手く世渡り出来ないぞ」
「お生憎様。私が刺々しいのは、少なくとも今は貴方にだけよ。マルバ」
「ほう。それはそれは。天下の魔女皇帝様に特別な扱いを受けるとはなんたる光栄」
「勝手にそう思ってなさいよ。否定する気も失せるわ」

私の可愛げの無い言葉にやれやれと肩を竦めて、マルバがエンジンをかけた。
白いミニバンはゆっくりと坂道を下っていく。



Copyright © 2009 ハティ. All rights reserved.

inserted by FC2 system