#04 夢に誘う

目の前で繰り広げられる展開に観客達が付いて行けず、会場全体が異様な雰囲気に包まれる。
そのおかげで静寂が会場を支配し始めていたのだから、リリーの声は小さいながらも観客にも良く届いていたに違いない。

「どうする?降参するならいつでも離すけど…って聴こえてる?」

ローズは俯いて自分の血が床にこびりついてるのをじっと見ていた。
二人は明らかに声が聞こえる距離にいるのだが、ローズの方は心ここにあらずといった様子。
未だに彼女は自分の魔法で身体に切り傷を増やしているが、痛みはとっくに分からなくなっているようだった。

「ま。そろそろ止めてあげましょうか」

リリーの足元にあった魔法紋が姿を消し、ローズを縛っていた薔薇の鞭も彼女自身の魔法紋も消えた。
やがて、幾分正気に戻った様子のローズは、座り込んだままキッとリリーを睨む。

「貴女…何なの」

ローズが、怒り心頭といった表情で静かに問うた。

「降参して頂けるの?」
「ふざけないで。降参なんて絶対にしなくてよ」
「そう。じゃぁ、しょうがないわね」

リリーが呟いてまた魔法紋を描くと、その背後の地面に大きな光の亀裂が走って、その光の中から大きな扉がせり出してきた。
ギィッと不快な音をたてて、目の前のローズを歓迎するかの様に開いた扉の中は、漆黒の闇に包まれていて何も見えない。

「さぁ。ようこそローズ。私の夢館へ。思う存分素敵な夢を見ると良いわ」

リリーがそう言うと同時に、扉の中の暗闇から”何か”が出てきた。
人間か、もしくは何か別の獣の手のような形をしている。
ゆっくりと近づいてくるその手を目にして、最後の力を振りしぼり、ローズがもう一度魔法紋を描いて抵抗しようとした。その時。

「ちょっと待って」

リリーの焦った声を聞いて、その手は止まった。

「駄目よ。いつもならこれで良いけど今日は駄目。不正になるわ」

少し迷いを見せたその手が、すごすごと諦めた様に帰って行くのを完全に見送った後、リリーはローズと扉を何度か交互に見て扉の後ろ側に移動すると自身の魔法紋を光らせた。

「じゃあ、手っ取り早くこの手で行きましょうか」

ぐらりと揺れたのは、ローズの視界ではない。
扉そのものだ。
何が何だか分からなくて、ローズはもう抵抗の声を上げることもしなかった。

倒れていく扉が彼女の身体を完全に覆った時。
決着は着いた。
リリーが魔法紋を消すと、扉もローズの姿も無くなっていたからだ。

ローズがこの舞台上から離脱した。
それはすなわち、彼女の敗北を意味している。

目の前の光景に呆気に取られる観客。
その中で、あの男だけが勝ち誇ったような笑みを浮かべて、この沈黙を楽しんでいた。

やがて、観客席から声が聞こえ始める。
審判の役を担う者も我に返り、舞台上に残った女の勝利を告げた。

「モルモットと…キミのペットは確かカメレオンだっけ?二人とも、可愛いペットにさよならを言うために早く帰った方が良いと思うよ。お嬢さん達」

男は呆然とする少女達の肩に手を置き、厭らしい笑みを浮かべて去って行った。
しかし少女達には、男に言われたことの意味を理解する余裕も無い。
自分達が慕っているローズが負けた。
彼女がどうなったのも分からない。

「ローズ…様?…ローズ様をどこへやったのよ!アンタ!!」

ボーっと明後日の方向を見ていたリリーが、キャンティの声に気が付いて彼女にゆっくりと焦点を合わせた瞬間、キャンティと、その隣で見ていたプリムは、自分もローズと同じように消されるのではないかと恐怖した。
しかし、リリーは予想に反した穏やかな表情で静かに口を開く。

「大丈夫。夢はいつか覚めるものよ。夢に飽きたら帰ってくるわ。だから、ここで待っててあげてくれる?お嬢さん達?」


会場中が新たな女帝誕生のニュースに沸いていた。
しかし、女帝の地位などリリーにとっては後付けのもの。
彼女は自分がその話題の中心であるにも関わらず、雑音から孤立する様に空を仰ぎ、育ての母親を救えた事を静かに喜んでいたのであった。



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