#26 魔女狩りの真相
それは、もうそろそろ出ようかな、まだ早いかな、と逡巡しながら髪に櫛を通していた時の事だった。
耳をかすめた羽音に、もしやと思う。
しかし、何故彼が…昨日、オーディンは、青神龍矢に私を迎えに行かせると言っていたのに。
確かめてみると、やはり家の前には仏頂面の雀くんがいた。
挨拶をしても、私からの一方通行になってしまうくらいには嫌われてしまっているようだ。
原因は私の魔女という身分にあるのだろうけど、それがこれ程までの嫌悪に繋がる何かがある筈で。
そしてそれは、もしかすると魔女狩りの真実に繋がるのかもしれない。
お互いに全くの無言を貫いて目的地オーディンの元へ。
腕の中で丸まるユキの温もりだけが、私の心に寄り添ってくれている。
女帝の位を手にしてからの数ヶ月、彼のような冷たい態度をとる人は吐いて捨てるほど見てきたから、もう慣れたものだ。
あからさまな分、彼はまだマシな方。
人のいい顔で近寄ってきた老人がナイフを隠し持っていた事があったくらいだ。
その時は流石に、マルバの「誰も信用するな」という忠告が、如何に現実的なものであったかを思い知った。
マリエッタが自慢の嗅覚で嗅ぎつけてくれたおかげで助かったけれど、いつまでも未然に防げるとは限らない。
私は他を疑うことで、自分の身を守らなければいけなくなってしまった。
*****
神殿の中まで付いて来たユキを見て、オーディンはそれはそれは楽しげに笑った。
お茶目な彼は、ユキが同席する事を快諾してくれたので、今は膝の上で大人しくして貰っている。
「単刀直入に言おう。魔女狩りの犯人はミッドじゃ」
「ミッド?」
散々焦らされた昨日の態度とは打って変わって、それは前置きも無く、結論から始まった。
「若者の間では、この呼び名が廃れておるのかもしれんの。俗界の者と言えば通じるか」
「俗界というと、魔力を持たない者の世界ですよね」
「左様」
「しかし、あのような事は」
「魔力を持たぬ者に出来る筈が無い。そうじゃな?」
彼の問いかけに頷く。
そうだ。
出来る筈がない。
魔女は魔力を持つから魔女なのだ。
力のある者とない者とが争えばどうなるか。
誰に聞いたって、きっと答えは同じになるだろう。
それに、海辺に並べられた美し過ぎる死体については、魔法を使わずにどうすれば説明がつくというのか。
「混乱しているであろうお前さんのために、もう一度、丁寧に言おう。魔女狩りを実行したのはミッド、魔力を持たぬ人間じゃ。しかし、傷のない死体…その不可思議な状況を作ったのはわしじゃ」
「つまり、殺人の実行犯は人間で、その後に神々が関与したと?」
「神々、ではない。わしじゃ。このオーディンだけが、あの事件に関わった唯一の神なんじゃよ」
「他の神は魔女狩りの事は?」
「知っているとも。知ったのは全てが終わった後の事じゃったがの」
「では、何故魔女狩りは起きねばならなかったのでしょう?」
「起きねばならなかった、か…面白い表現をするのぉ」
「事件には必ず動機がありますから」
「成る程…動機か。魔女狩りを起こさねばならなかった動機。ふむ、その答えならば…”畏怖”、じゃな」
「畏怖?魔女は人間に恐れられて殺されたということですか?」
「もっと詳細に言うと、ある特定の人間に、じゃ」
「特定…?」
「それを紐解くには、正しい歴史を学ばねばならん。まず、俗界と魔界の皆が思い込んでおる…否、思い込ませた、大きな間違いを正さねば」
「大きな、間違い?」
「この世は数多の世界で出来ておるが、魔界という世界は元々無かったのじゃ。もっと言えば、魔女という種そのものが存在しなかった。とてつもなく永い時を経て、人間の中に魔力を持つ者が現れ始めた。それがお前さん等魔女じゃ。魔女は自らの力を使って、他者を救う事を生業としておった。とても優しく気高い者達であった。そんな中、とある国の愚かな王は、魔女の摩訶不思議な力に畏怖の念を抱き始める。魔女の力を以てすれば、自分の地位が危ぶまれると恐れたのじゃ。そして、王は民に命じて魔女を理不尽に処刑し始めた。これが魔女狩りの起こりじゃ」
なんて悲しいのだろう。
当時の、他者を救うことを生業としていた魔女達は、果たして地位などというものに、興味があったのだろうか。
魔界の王となってしまった今の私に、それを語る資格は最早ないのかもしれない。
だけど、大事な人を残して逝く事と天秤に掛ける程の執着があったとは、どうしても思えなかった。
「では…その後、貴方はどのように関わったのですか?」
「先程も申したが、魔女は皆優しく気高い者達であった。わしも魔女のその様な気質を好いておったよ。しかし、大切な者を奪われて猶もその気質を保っていられる筈もない。勿論、この様な仕打ちを受けても、慈愛を捧げ続けたお人好しも居たが、多くの魔女達は人間に復讐をしようと動き始めていた。魔女が本気で人間とやり合えば、人間が滅するのは目に見えておる。本来神が他の世界に介入するのはあまり褒められた事ではないのだが、やむを得なかった」
「それで…一つの世界を二つに…俗界と魔界に分けた」
「その通り。わしは俗界のコピーを作り、そこに魔力を持つ者達を全て移住させたのじゃ。そして、双方の記憶を改ざんした」
「死体は…?」
「悲惨なものじゃった。よくもこの様な残虐な事が出来ると、わしもミッドが怖くなった程じゃ。しかし、死んだ命はどうやっても帰らぬ。ならばせめて、彼女達を美しく逝かせてやりたかったのじゃ」
「治癒の力は死んだ者には効かない筈では?」
「あれは治癒ではない。そうじゃな…近しい言葉を当てるとするならば、修理…否、もっと格下の…子供が粘土で遊んでいるようなものじゃ。それでも、残された者に悲惨な姿を見せたくはないだろうとお節介を焼いた。それに、これはわしのエゴじゃが、人間への報復の機会を奪ってしまった償いがしたかった」
なるほど。
事の顛末は大体分かった。
でも…一体理不尽なのは誰なんだ。
地位が揺らぐ恐怖から魔女を滅ぼそうとした愚かな王様?
それとも、多くの魔女の亡骸を前に、その実行犯を守った神様?
魔女は誰からも守ってもらえなかったのに…
「…神の長である貴方が、何故、たった一人で人間の犯した罪を庇わなければならないの?…神は万人を救済すると、聞いた事はあります。けれど、これは…こんな事は、あまりにも滑稽だわ。歴史に残るような大罪を、貴方は握りつぶし、闇に葬ろうとしていたのですよ?」
魔女狩りの直接的な遺族でもない私が、この事件の真相を求めたのは、自分の命が脅かされたからだ。
魔界の多数の民が、事件の犯人と思しき神との戦争を望み、その夢を妨げる障壁として、こうしている今も私の命は狙われている。
それなのに、無実の魔女を殺した犯人は、神に愛され、その後も幸せに暮らしたとでも言うのだろうか。
そんな事が真実なら、私の命は何なんだ。
怒る権利が十分にある筈の魔女達を抑えるために、どうして私が人柱にならねばならないの。
「あんまりだわ…」
「無論、大罪を犯した王には鉄槌が下っておる」
「鉄槌?拷問にでもかけたのかしら?」
「残念じゃが、わしは、神という身分故、誰かを拷問にかけたくとも直接手に掛けることは出来ん。しかし、わしが世界を二つに分けた時に、少し細工をしておいたおかげで、社会的にあの男は抹殺されたのじゃ。民の手によって。そして死した今も、冥府の王の下で、長きに渡って地獄での生活を楽しんでおることじゃろう」
「冥府の王って…ヘル、ですか?」
「冥府の王は世界に一人しかおらんよ」
「じゃあ、ヘルは魔女狩りの真相を知っていたの?!」
「どうじゃろうか…本人から聞いていれば知っておるじゃろうが…地獄の中の事は、例え神界の王が相手でも他言無用。わしは推測で言ったまでじゃ。そこまでの大罪を犯しているのなら、あの場に居ても不思議ではないじゃろう?」
もしヘルが全てを知っていたとしても、彼は職務を全うしただけなのだから、ここで怒りの矛先を向けるのは間違えている。
確かにオーディンの決断は正しい。
復讐は復讐を生むだけ。
終わりの見えない悲しみを終わらせるには、どちらかが我慢するしかない。
そして、私は、私の役割は、魔界と俗界を守るために、この真実を胸に秘め、魔女を魔界に押し留めることだ。
魔界の王だというのに、私の正義は一体誰のためにあるんだろうか。
「誠に、王とは難儀なものじゃのぉ」
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