#24 天空を泳ぐ

私が魔女であることに憤慨した雀くんは、南領の幼い領主を連れて帰ってしまった。
ウルドとフギンも席を外し、今はオーディンと二人きり。
何だかいたたまれなくて彼の顔は見れないけれど、扉が閉ざされてからずっと話かけてこないのは、目に見えて落胆している私を、これ以上傷つけまいと言葉を選んでいるのかもしれない。

なんだか、最後まで私を威嚇していた雀くんの眼差しが脳裏に焼き付いてしまって、内臓が冷えてしまったみたいだ。
女帝になってからこんな事は幾度となくあったから、そろそろ負の感情への耐性がついていると思ってたんだけどな。
魔界でも王だからと命を狙われ、神界でも魔女だからと蔑まれ。
結局どこの世界に居ても、私はもう他人からの批判を逃れられないらしい。
別に、誰も彼もに好かれたいと願っていたわけじゃないけれど、心の何処かでどこかに居場所があるって期待していたから、きっとこんなに胸が苦しくなるのね。

「どうしてこの力は私を選んだんです?この世界では魔女は忌み嫌われているのでしょう?」

自嘲気味にオーディンに問うと、彼は悲しげに目を伏せた。

「…忌み嫌われておる訳ではない、と言うと嘘になってしまうかもしれんがの。ただ、皆が勘違いをしておるのじゃ。皆が勘違いをしたために、歯車が噛み合なくなっておるだけ。じゃが、力がお前さんを選んだのには必ず理由がある筈じゃ。自信を持ってその力と向き合うが良い」
「こんなお荷物を押し付けたからには、魔女狩りについて全てお話頂けるんですよね?」
「わしは守れぬ約束はせんよ」
「…そう…なら、受け入れるしかないわね」

ぽとりと落ちた溜息。
願わくば、今すぐにでも城に帰ってベッドに飛び込みたいけど、まだ彼に尋ねなければならない事はたくさんあるから、ここで黙って帰る訳にはいかない。

「じゃが、魔女狩りの話については明日にしようかの」
「…今日じゃいけない理由というのは?」
「一番は、わしの体力面の問題じゃ。すまんが、力を授けるのはかなり体力を消耗する。しかし、お前さんも。精神面で十分疲労しておるはずじゃ。無理をして話を聞くよりは、万全の状態で魔女狩りの真相を聞いてもらいたい」

一方的に物騒なものを押し付けられて、こちらの要求はまた明日。
神様というより…

「まるで詐欺師ね」
「ほっほ。よく、そう言われるんじゃよ」

彼には悪びれた様子もない。
いい加減に辟易してきたけど、ここは従わないと余計なお荷物を背負わされた意味がなくなってしまう。

「…仕方ないですね」

私の返事に満足したらしいオーディンは顔を綻ばせると、ゆっくりと膝に体重を掛けて立ち上がった。
それを見た私も、では、と踵を返そうとしていたのだが、少しだけ慌てた声に引き止められてしまった。

「領主に住まわせる為に作った神殿がある。お前さんの治める西領にもじゃ。今日から其処に住まうと良い」
「住む?私には魔界に帰る場所がありますけど?」
「ふむ。女帝の城と言えば…確か”ヴィーンゴールヴ”と言ったかの。拠点を此方に移しては貰えんか?悪い提案ではないと思うぞ?」
「…どういう事です?」
「わしが言うのも差し出がましいかもしれんが…お前さん、魔界ではもう明日の命さえも保障出来ぬ状況にある。違うか?」
「…神界と魔界には暫く交流が無かったと伺っていますが、随分と内情に詳しいんですね」
「交流がなくとも分かる。乗り気にならんかもしれんが、一先ず今日だけでも行ってくれんか」
「何か企んでいますね?」
「ほう…流石、魔女の頂点に立つ者じゃ。察しが良い」
「からかわないでください…でも、まぁ、良いでしょう。私の顔を見てすぐに魔界の女帝だと分からなかったのに、妙なところで魔界に精通しているなんて不思議ですけど」
「交流が断絶する前には魔界とも深い交流があった。加えて、お前さんの”魔女らしい”性格を考慮すれば簡単に推理出来ることじゃよ」
「さて、どうかしら。ホント、食えない人」
「それはお互い様じゃ」

そう言って穏やかに微笑む彼であるが、その微笑みの裏に何かを隠している様な気がしてならない。
最初は確かに、それを「春のようだ」と思った筈なのに。

*****

オーディンとの話を終えてホールを出ると、フギンに瓜二つの女、ムニンが現れた。
向こうから自己紹介をされないと、きっとそのままフギンとして彼女と会話していたと思うくらいだ。
それ程似ていた彼女たちを見分けるには、フギンの口元にあった黒子がムニンにはないという事を知っていなければ、まず不可能だろう。
ムニンは、私に東の領主が住む神殿を訪れるようにと告げた。
場所が分からないから案内して欲しいと頼むと、連れて来られたのは隣にあったあの純和風の瓦屋根の建物。
東の領主がウルドであるとは分かっていたが、その神殿というのが、これの事だと言うのだから驚いた。
神殿と分類して良いのか些か疑問に思うが、神様が住んでいるのだから、この世界にある建物は全て神殿で間違い無いのである。

さて、その建物にはウルドの他にもう一人、男が住んでいた。
青神龍矢。
彼の名である。
これが妙な男で、この私ですら何を考えているのか全く読めない。
私と初対面であるにも拘らず、眉間の皺を一切伸ばす事なく徹頭徹尾その態度を崩さない彼の姿には、恐れを通り越して呆れすらあったが、これで突然人が変わったように馴れ馴れしく振舞われても、最早気味の悪い夢でも見ているのかと疑いかねないだろう。
それで、何故こうして他領の領主邸へ参上せねばならないのかというと、私の神殿が少々離れた所に立っているからである。
どうやら、この世界には自転車は愚か車も電車もないらしい。
確かに、自転車を乗りこなしている神様などあまり見たくないものだが、電子レンジや冷蔵庫といった物は普通に存在しているのだから奇々怪々である。
その線引きは恐らく、簡単に言えば、家の中で使うなら多少神様のイメージから離れていても可、というところだろうか。
…釘を刺す様だが、これはあくまで推論である。

それならば、神界での長距離移動の手段とは一体何なのか、青神龍矢に問うてみた所、この世界では主に馬に乗るという回答を得た。
他にも、猫が引く馬車(猫車)や猪など様々な例があるらしいが、それはかなりマイナーなものであるようだ。
つまり、神様の移動には動物が一役買っているという事。
さて、ここまで来ると、私はここで馬を借りて目的地に向かわねばならんのかしらと思い始めた訳だが、真実は全く異なるイキモノであった。
私の移動の為に用意されたモノ。
それは、紛れもなく、この一向にしかめっ面を崩す気配のない、青神龍矢その人だったのだ。

彼の身体が青く光った時には、思わず魔法紋を探したが、神様は魔女と同じ方法で力を発揮するわけではないらしい。
青光が収束した頃、青神龍矢が居る筈の場所には、玉虫色の鱗を幾重にも貼付けた巨大な龍が一匹。

「何…これ」
「我ら第二神界を故郷とする者達が持つ、もう一つの姿だ」
「このドラゴンが"青神龍矢"なの?」
「ドラゴンではない、青龍だ」
「この世界の人は皆、こんな…人間じゃないものに化けるっていうの?」
「いや、第二神界の者だけだ」
「第二神界?」
「…ふむ。お前がこうして異界に来て、解せぬ事があるとは承知したが、全ての質問に答えていると切りがない。一先ず、背に乗れ。移動しながら幾つかは答えてやるが、残りの疑問は全て向こうで白石に聞けば良い」
「しらいしって?」

青神龍矢は盛大な溜息を吐いた。

*****

青神龍矢の背からの眺めは最悪だった。
こちらは生まれながらにして高所恐怖症を患っているというのに、彼はそんな事を気にかける様子も見せないのだから尚更である。
しかし、冷たいように見えて意外にお喋り好きなのか、彼は道中、多くの事を教えてくれた。

特に、今日一日で何度も耳にして、ずっと気になっていた「二つの神界」というキーワード。
これは、母さんもマルバも教えてくれなかったくらいだから、二人も知らなかったんだろう。
魔界の視野の狭さを痛感した瞬間だった。

神界を束ねるオーディンが居る第一神界。
別名、アースガルド。

青神龍矢が龍の姿をとるように、"人間"と"人間とは異なったイキモノ"の複数の姿を持つ者が住む第二神界。
別名、ヴァナヘイム。

この二つの世界は例えるならば兄弟のようなもので、兄に出来ない事を弟が、弟に出来ない事を兄がするといった様に互いを助け合い、実に仲良く共存して来た。
ここで今"共存"と言ったが、同じ"神"に分類されていても棲み分けはきちんとなされているようで、互いの世界に滞在する事は愚か、足を踏み入れる事すら余程でない限りはないという。
つまり、青神龍矢はその"余程"とやらで此処に居るという事だ。
この、心にひとつのさざ波もたたない男が、どうしてここに腰を落ち着けることとなったのか。
聞くとそれは、「第一神界を四領に分けて力を分配する」というオーディンの提案から始まっていた。

神としての力を授けられた際にも、一部、オーディン本人の口から説明されたが、もっと詳しく歴史を紐解こう。

従来、「神界の主」はオーディンの先祖が代々受け継いできたのだが、オーディンに子が居ない為に、とうとうこの度、正統な後継者を迎えることが出来なくなってしまった。
…というのは、先程オーディン本人の口からも聞いた話であるが、正確に言うと出来ない訳ではないと言うのだ。
何故なら、オーディンには二人の弟が居るからである。
しかし、彼等は主の血統であるというおごりと、それにも拘らず兄の存在ゆえに己は主になれなかった劣等感から、傲慢極まりない男に育ってしまった。
特に次男はそれが顕著で、晴れぬ鬱憤を晴らそうと自分の息子に酷い接し方をしているとか。
一方三男は、と言うと。
次男に比べると幾分か穏やかではあるのだが、次男には逆らえないようで、まさに金魚の糞状態。
こんな弟達の有様を目にし、ついに見切りをつけたオーディンは、体力の衰えを日に日に噛み締めながら、やがて前述の提案をする。
しかし画期的かに思えたこの提案であるが、後継者を血筋で決めないというのは、神界では前代未聞の事である為、オーディンにだけでなく、まだ見ぬ領主にまで様々な揶揄や批判が彼方此方で飛び交う事となってしまった。
勿論、最も反発したのは弟達だ。
何度も抗議にやって来ては周りに当たり散らしていたが、現在は反オーディン派なる派閥を作ったらしく、お仲間と共に兄の失脚を促す策略を練っている。
こんな状況では、後継者となった者達が安心して領を治められないと考えたオーディンは、彼女達に護衛をつけることにした。
その護衛の一人が青神龍矢であり、朱日雀なのである。
ここでオーディンが第一神界から護衛を抜擢しなかったのは、第二神界の者の方が第一神界の神々よりも運動神経が良く、武術に長けているからという理由の他に、反発派のスパイを恐れたからという理由がある。
こうして領主の護衛のために集められた四人の少年達は、十三歳という若さで親元を離れ、二年の厳しい修行を経て、十五の時から現在までずっと自分が護るべき領主をこの異界の地で待ち続けた。
そして今日。
私が正式に後継者の仲間入りとなった事で神界の後世を担う全ての人物が揃い、四人の護衛生活が正式に幕を開けたのだった。

ちなみに。
彼らの故郷、第二神界は四つの村に区分されいて、それぞれ龍、鳥、虎、亀の血を持つ家系が暮らしているらしいのだが、青神龍矢は龍の村の生まれで、先程出逢った朱日雀は鳥の村生まれだそうだ。
分かりやすい名前だこと。

私を護衛してくれるのは、先程青神龍矢が零した「しらいしこたろう」という男らしい。
白い石と書いて白石。
そして、虎に太郎で虎太郎。
名前から察せられるとおり、虎の村出身である。
青神龍矢曰く、時間に疎くて横着者、戦う者としての心得は劣悪の一言に尽きるような奴ではあるが、いざ本番で戦わなければならなくなった時の戦闘センスは、普段からは皆目見当もつかぬ、まさに、動物的勘の冴えた天才肌。
最後に「だが、遅刻常習者ゆえ感心はせぬ」と付け加えてはいたが、それでも相当な大物が私を守ってくれるみたいだ。
私の場合、魔女というだけで粗雑に扱われる可能性は十分に有り得るが、オーディンの目が黒いうちは取り敢えず大丈夫だろう。

*****

ノックをしても返事がなく、しばらく待ってみても人の気配すらしない。
恐る恐るノブを握る手に力をいれると、重厚な見た目に反して意外と容易く扉は動いた。
ここは、西の領主が住まうために作られた場所。
つまり、私の神殿だ。

足を着地させる度にコツリと小気味いい音が鳴る。
壁も床も階段も、さらにはその手すりに至るまで、全てが白に支配されていた。
中でも、真っ直ぐ上へと伸びる大きな階段が目を惹く。
その先には部屋があるようで、ここからでも硝子のアンティーク照明が天井からぶら下がっているのが見えた。
遠く見上げたロビーの吹き抜け天井は、一部がダイヤモンドを逆さまに置いたような形に外へ突き出ていて、ガラスで出来たそこから太陽の恩恵を目一杯取り込んでいる。
丁度太陽が真上に居る今は、部屋が過剰に眩しく見えて目が痛いくらいだが、仄暗い我が魔界の古城より、これくらい明るい方が気分が晴れて良い。
人工的な照明は壁に沿うように幾つかが取り付けられているだけで、これらの力が頼りになる夜はどうなるのか不安ではあるが…

それにしても、白石虎太郎にはここで会えると青神龍矢から聞いていたのに人の気配が全くしない。

「まさか遅刻?」



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