#23 神託
主が御座すのは、横並びに据えられた十三脚の高座の真ん中。
中でも一等豪華なそれは、金色の光を放ち、其処に座る者こそがこの世界の長だと誇示している。
その右隣にある椅子、つまり右から数えて六番目、左から数えて八番目を、巫女はおもむろに動かし始めた。
深紅の絨毯に四つの筋を残しながら引きずられた椅子は、やがて主と対面する様に設置され、主は私が椅子に腰掛けたのを見届けると、次は両手を差し出すように催促してくる。
おずおず差し出された私の右手を左手、左手を右手で包み込んだ彼は、最後に「目を瞑れ」と指示し、私はここでやっと行動を躊躇した。
視覚を制限されてしまうのは恐い。
何をされても直ぐに気付けないのだから。
主の温かい眼差しの中に下心が無いか、もう一度よく確認して、私は静かに瞼を降ろした。
きっと大丈夫。
自分の直感を信じよう。
視界に赤が広がる。
自分に流れる血潮の色。
ああ、確か。
此方の世界も今日はいい天気だったっけ。
…そう言えば、神界の太陽は魔界のものと同じものなのかしら…
全く別の違う形をしているのか…
それとも、同じ形の別物なのか…
意識の輪郭が次第にぼやけてくる中、五感で認識出来るのは、しっかりと繋がれた掌の温かさ。
そして、恐らく彼から発せられているのであろう甘い花の香りだけ。
どこか懐かしい、その優しい香りに気を取られていたら、突然身体がふわりと軽くなった気がした。
物理的に軽くなったというより、感覚的に。
気分が明るくなったという方が近いかもしれない。
何もないのに妙に心強くて…そう…幸福感で満たされる感じ…
「これで終わりじゃ。目を開けてよいぞ」
名残惜しくも、オーディン様の許可が下りて目を開ける。
その景色は目を閉じる前と何ひとつ変わっていなかった。
「今、お前さんは神となった」
「何も…変わった気がしない」
「皆そう言いおる」
「でも…」
「妙に気分が良い?」
頷く。
「神の力は実に摩訶不思議じゃ。実体はないのに、確かに息衝いて宿主を選ぶ」
「神の力は生き物なのですか?」
「わしはそう考えておる。拠り所となる者との相性が悪いと拒絶の意思が身体に表れる事もあるんじゃよ。まぁ、大半の場合は事前にスクルドに見て貰っておるから、何事も無いがのぉ。しかし、不幸にもそのスクルドの…いや、この話は止めておこう。忘れてくれ。まぁ、何じゃ。気分が悪くなったりしないのならば、その力はお前さんを拠り所と認めたという事じゃ。大事にしてやらんとな」
「…神の力を持つと、何か特別な事が出来る様になるのですか?」
「その説明じゃが…お前さんの他にもこの話をせねばならん者がおるのでな…今日その者達を呼び寄せておる…フギンよ」
返事をしたのは、巫女。
口元の黒子が印象的な彼女の名前は、フギンというらしい。
「雀達を呼んで来なさい」
「かしこまりました」
両手の指先を腹の辺りで組み、腕を振らずに歩く彼女は、私がこの部屋に入る為に使ったのとは違う扉へと向かった。
どうやら、あの扉の向こうは控え室になっているようだ。
扉を三回ノック。
木の織り成す音が耳に心地いい。
すぐに、中から可愛らしい子供の声が二つ聴こえて、内側から扉が開く。
顔をのぞかせたのは、幼い女の子。
短く切られた金色の髪が、大きな瑠璃色の瞳によく似合っていた。
「もう良いの?」
女の子がフギンに尋ねると、フギンはとても優しい声で肯定した。
「すずめ!ヴェルちゃん!呼ばれたよ!」
中から返事をするよく似た声。
その後、慌ただしく積み木か何かを片付ける音が聴こえる。
足音が聴こえて、もう一人の子供が顔をのぞかせた。
同じく、瑠璃色の瞳に金色の髪。
顔の横で揺れるツインテールだけが最初の女の子とは違う所。
髪型が一緒なら、あまり区別が付かないだろう。
「あのお姉ちゃんが西の主さん?」
小首を傾げながら、ツインテールの少女はフギンに尋ねる。
「そうですよ。さぁさぁ。オーディン様の所へ」
フギンが促すと、小走りに此方へやってくる二人。
間近で見ると、本当に瓜二つだ。
「こんにちは」
「こんにちは!」
「こんにちは!お姉ちゃん。お名前、何て言うの?」
「リリー・ブランカよ」
「私、ヴェル!」
「私、ディル!」
「ヴェルに、ディルね。よろしく。二人は双子?」
「そうだよ!」
「ヴェルちゃんがお姉ちゃんで」
「ディルが妹!」
彼女達の発言を整理をすると、二人は双子で、ツインテールの女の子が姉のヴェル。
髪の短いボーイッシュな女の子の方が妹のディルらしい。
「で、アレがすずめ!」
ヴェルが指差す先には、控え室からゆっくりと此方へ歩いてくる一人の人物。
軽やかに揺れるミルクティー色の長いポニーテール、すらりとした長身、そして整った顔立ち。
住む世界の違いこそあれど同じ形をもつ種族であるのに、目にした瞬間、視線の自由を奪われる程の美貌を彼女は持っていた。
普段は、あまり自分の容姿を気にした事はないが、少しの劣等感と敗北感を感じてしまう。
「初めまして」
「初めまして。リリー・ブランカです」
「朱日雀です」
「可愛らしいお名前ですね」
美女に”雀”だなんて。
ああ、でも。
クジャクを漢字で書くと”孔雀”だから、雀という文字は案外綺麗な人に合うのかもしれない。
「第二神界、朱雀村の頭領の息子、ですから。どうしても、こういう名前になるんです」
「だいにしんかい?」
聞き慣れない単語ばかりで、思わず鸚鵡返しをしてしまった。
雀さんは苦笑いだ。
それよりも、この話の流れを汲むと、彼女は彼女ではなく彼という事になる。
よくよく見てみると、確かに。
彼の喉元には、男性特有の突起物が確認出来た。
一度気付いてしまえば、首が華奢なおかげで彼のそれは意外にも目立っている事がわかる。
兎に角、失礼な事を言う前に気付けて良かった。
さっきも、「息子」というキーワードを強調して発言していたような気がするし、彼自身も性別を間違われることを気にしているのかもしれない。
「雀よ。彼女は異界の者なのじゃ。神界の事に関しては殆ど知らん。…じゃが、後にその辺りの事も教えてやらんとな」
「虎太郎にも配慮するように言っておきます」
「頼む」
話についていけない。
彼らによると、いずれ全てを教えて貰えるみたいだけど…
見知らぬ地で自分だけ置いてけぼりをくらってしまうのは、それが例え会話の上であったとしても、なんとも形容しがたい居心地の悪さを感じるものだな。
「それで?」
そう、言葉を零したのは雀くん。
彼は綺麗なアメジスト色の瞳に、老人を映す。
「今日こそは、双子の”力”の事を教えて頂けるんですよね?」
まるで、退路を断つ様な物言い。
今までも何度もこのやり取りがあったのかもしれない。
対するオーディンは、というと。
観念した、とでも言う様に大きく息を吐いて頷いた。
「今日この日。お前さんにもちゃんと説明すると約束したからのぉ」
「はい。約束は守って頂きますよ」
「勿論、そのつもりじゃよ。じゃが、その前に。リリーは何も知らぬ真っ新な状態じゃ。何故雀と双子が今日此処に居るのかも分からんじゃろう。ちゃんと、全てが解せるように心がけねばな」
「お願いします」
漸く、目の前の霧が晴れる時が来た。
仄かな笑みをその目元に浮かべ、彼は皺の深い唇を振るわせ始める。
「ここにおる双子は、お前さんと一緒じゃ。つまりは、わしの後継者。神界の南領を治める領主でもある。」
「まだ、こんなに小さいのに?」
「重要なのは、主としての素質があるかどうかじゃ。ところで、リリーよ。東の領主ウルドが北の領主スクルドと対極の力を持っているのは、もう気付いておったかのぉ?」
「ウルドさんは過去…でしたよね?」
「左様。彼女は過去の真実を見る事が出来る。彼女の前で嘘は通用せん」
「そして先程、しきりに”スクルドが未来を詠んだ”と仰っておられましたね」
「如何にも」
「では、スクルドさんは未来を見る事が出来る、と?」
「正確には、何通りもの未来の内、最も辿る可能性の高い一つを詠む事が出来る、じゃ」
「”詠む”というのは」
「文字通り、詠むのじゃよ。彼女は目で未来を直接透視する訳ではない。彼女の力が未来を詩にして教えるのじゃ」
「未来を詩に…ですか」
「詩にして伝えられる分、それを聞かされるわし等はその詩を紐解いて、力が伝えんとする事を予想しなければならなくなったが…スクルドにとっては、負担が軽くなっておる筈じゃからのぉ」
「負担?」
「ふむ…例えば、君の肉親が明日死ぬとしよう」
「何をいきなり…」
「もしお前さんに未来が”見える”としたら、お前さんの目には何が映る?」
当然、それは…死だ。
近しい者が死ぬ姿を、実際に目の当たりにする前に私は見る事となる筈。
「未来は本来知らなくて良い事。もやが掛かっているくらいが扱える限界なのじゃ。それ以上明確になれば身を滅ぼす」
成る程、だから負担が軽くなる…か。
「お前さんの話に戻ろう。ウルドとスクルドが対極にある様に。南領の領主ヴェルとディル、そして此の度西領の領主となったリリーの力も対極になっておるのじゃ。双方が揃った時に説明するのが良いと思ったんでの。今日、ここに三人を呼んでおる」
「たいきょく?」
「反対っていう意味だよ。ヴェルちゃん」
ヴェルには難しい単語もディルはちゃんと理解しているらしい。
双子でも、こんな所に格差が出るのね。
「では、リリーの力から説明しようかの」
「はい」
「お前さんに授けたのは"消滅"の力じゃ。お前さんの力は世界を滅ぼす為にある」
その瞬間、場の空気が凍り付いた。
「滅ぼす…とは?」
「その言葉のままの意味じゃ。この世を作った者が、この世を終わらせる為に作った力じゃよ」
何かの勘違いである事を祈って発言したのに。
それは勘違い等ではなかった。
彼が表情を寸分も違えずに言い放ったのは、あまりに残酷なお話。
「…随分と物騒な力を異界の旅人とやらに渡したんですね」
「スクルドがそう詠んだのじゃから仕方あるまい」
「何故そんな力があるのです?」
「どんな物も形ある物はいずれ壊れる。それはこの世界も同じ事。この世を作った、神をも超越する者は、いずれこの世界にも終わりが来ると…否、終わらねばならぬ時が来ると思うておったのじゃよ。そしてそれは…この世を消滅させる力は、何人もの人手を渡って今、お前さんの中にある」
「そんな危険な力…どうして…」
「危険だと思うのは、我々がその者によって創られたモノであるが故じゃ。創った者からすれば、ただ作品を壊すだけの事。積んだ積み木を崩しておもちゃ箱に片付けるのと同じなのじゃよ」
「そんな言い方…」
「残念じゃがの…なんと非力な事よ」
この世の全ては、一人の大いなる力によって生み出されたものであって。
私達が狭い世界で様々な悩みを抱え、喜怒哀楽し、一生を終えるその姿を、その一人…創世をやり遂げた人物は嘲笑って見ているというのか。
私の思い一つでこの世は終わる。
この世に不満があれば、いつだって。
何も知らない、関係のない人物をも巻き込んで…
「おじいちゃん。私達の力は、このお姉ちゃんの反対なんでしょう?」
ヴェルが尋ねる。
「いかにも」
「”しょうめつ”って”消える”って事だよね?消えるの反対って何?」
ディルの問いかけに、オーディン様は微笑む。
「誕生じゃ。生まれるのじゃよ。ヴェル、ディル、そしてリリーが持つ二つの力は謂わば、世界のリセットボタンじゃ。お前さん等双子の力は、リリーが消滅の力を使って全てを消滅させた後にのみ発揮される」
「リセットボタンが押されたら全部消えるのでしょう?この子達も消えてしまったら何も誕生出来ないのでは?」
「ふむ。リリーがそう思うのも無理はない。これはちとややこしいからのぉ。つまり、誕生の力を持つ者と消滅の力を持つ者は、リセットボタンが押された後も生きるのじゃ。そうじゃな…分かり難いじゃろうから、今もしそれが現実になればの話をしようかの。もし、リリーが己が神の力をもって、もう消せるものは無いという所まで全てを消滅させたとしよう。その時点で、何もない世界にリリー、ヴェル、ディルの三人だけが漂っている状態じゃ。そこは、上も下もない真っ新な世界。三人以外は無に還る。その後、双子は"誕生"の力を使って原始の世界を創るじゃろう。そして、用なしになった双子もこの世から消える…と言われておる。実際に起こった事ではないから、全て断言は出来んがの」
理解しようとは思っている。
思っていても、理解が追いつかないのだ。
今はただ、彼の言う事を小説か何かのようにさらさらと聞き流すことで精一杯。
「じゃあ、私はいつ消えるんですか?」
「消えんよ」
「消えない…と言うと?」
「自らの寿命が尽きるまで生きる。多くの命を犠牲に再生した世界で、お前さんは生き続ける。お前さんが唯一消せないものがお前さん自身なのじゃ」
「じゃあ…最後は独りじゃないですか」
「そう。独りじゃ。話し相手も死を看取ってくれる者も埋葬してくれる者もおらん。ある意味、生き地獄じゃな。しかし、それが尊き数多の命を奪った代償になる」
一瞬、喉の奥が引きつる。
胸が苦しい。
どうやら私は、とんでもない物を押し付けられたみたいだ。
今更だが、この老人を本当に信用していいのかすら分からなくなってきた。
「魔女が」
ぽつりと冷たい声を落としたのは、ずっと私達を黙って見ていたウルド。
感情を宿さないその瞳は私をじっと見つめていて。
「魔女がそれを代償だと思うと?」
主の人選を疑っているらしい。
しかし、それに反応したのはオーディンではなかった。
「魔女!?”異界の旅人”は魔女だったんですか?!」
雀くんが主に詰め寄ると、驚いた双子は肩をビクリと振るわせ身を寄せ合った。
「そうじゃ。何か問題があるかの?」
「問題あるに決まってます!よりによって何故!何故魔女なのですか?」
「スクルドがそう詠んだからじゃ」
「間違いに決まってます!だって魔女は!」
「雀よ。例の魔女とリリーは別人じゃ」
「…貴方は宜しいのですか。貴方が一番辛い立場でしょう?」
「わしは何も辛い事などない。例え何処の世界の者であろうと、わしの子が一人増えた事には変わりないのじゃから」
それを聞いた雀くんは、絶望したように呆然と主を見つめ、やがて悔しげに顔を顰める。
「貴方が其処まで仰るのなら、俺は従うしかありません。でも…」
アメジスト色の瞳と目が合う。
オーディンに対するものとは全く異なる、刺々しい眼差しが私を射抜いていた。
「もし、双子を傷つける様な事をしたら。その時は地獄の果てまで追いかけてぶっ殺してやるから覚悟しな」
最初に自己紹介してくれた時の穏やかな眼差しは何処へやら。
雀くんが熱り立っているのは勿論、双子は怯え、ウルドはやはり冷ややかに私を見つめている。
フギンも悲しそうに目を伏せていて、心を許してくれたとは到底思えない。
唯一、オーディン様だけ。
彼だけが、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
「それが代償になるからこの力がリリーを選んだのだと、わしは思っとるよ」
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