#21 ターコイズ

開いた口が塞がらないとはまさにこの事。
私はどうやら秘密の楽園に迷い込んでしまったみたいだ。
高くそびえ建つ塔が一本遥か遠くに見えるけれど、他に背の高い建物は無くて。
視界を邪魔するものがないから、空がとても広く見える。
振り返った先にはここに来るために通って来た扉。
まるで、見えない力に導かれた様に。
この扉と出会った奇跡の始まりは昨日の朝に遡る。

*****

私は朝から冥界を訪れていた。
冥界の王に会うのは、これで二回目。
最初に訪れて以来、特に用事がある訳でもなく。
ヘルもヘルで、全く連絡も来なければ、会いにも来ないから。
ただ単にそれだけの理由で会わなかっただけなのだが、どうやら彼の方は私を待っていたらしい。
私の顔を見た途端歓喜の悲鳴を上げ、「漸く妹が帰って来た」等とまた変な設定を持ち出して大層喜ばれてしまった。
彼のあまりにも大げさな反応に疑問をなげかけてみても、返って来たのは、君の僕に対する愛を試したんだよ、と少々理解しかねる回答。
何故、私は愛を試されねばならぬのか。
全くもって謎である。
当然、彼は甲斐甲斐しく私の世話を焼こうとしてくれた訳だが、その日は彼とお喋りをするつもりで冥界に参上した訳ではない。
実は、冥界の城には魔界のどの図書館をも圧倒する数の蔵書があり、その上ヘルの”冥王”という特殊な立場のお陰で、それは世界を超えて収集されている。
ならば、魔女狩りの調査をする場所としてこれ程適している場所が他にあるだろうか。
マルバ程の人なら、魔界の書物など読み尽くしているに違いない。
それでも、魔女狩りに関する進展が無いというのなら、魔界にある書物では真実に辿り着けないという事だ。
それに、他の世界で刊行された本には、きっと魔界の物より客観的な意見が述べられている筈。
目に留まった本を片っ端から積み上げてみると、とんでもない高さになったので、ヘルに頼んでめぼしい箇所をコピーして貰った。
図書室に大きな机が備えられてあったからそこで読んでも良かったのだが、勘違いをして妙に幸せそうなヘルがちょっかいを掛けてきて鬱陶しかったので、数冊の本とコピーを抱えて魔界に戻る事にしたのだ。

帰らないでと縋るヘルを魔法で欺き、冥界から魔界へ。
しかし彼を追い払って一息吐いたのも束の間、敷居を跨いだ直後に足下が縺れ、その拍子に抱えていた大量のコピーがバラバラに飛んで行ってしまった。
床に散らばって白い絨毯の様にも見えるそれをうんざりしながら片付けていると…
一枚の紙が壁と床の隙間に半分以上潜り込んでいるのを見つけた。
不思議に思ってその辺りを調べると、不自然に欠けたレンガに目が止まる。

レンガを押してみた。
何も起こらない。
引っ張ってみた。
何も起こらない。
欠けた部分に指を引っかけて左へ。

「…動いた」

ガラガラと大きな音を立てて壁が動いた。
出来た隙間からは日の光が差し込んでいる。
恐る恐る覗いてみると、その先には明らかに魔界ではない景色。
扉を閉めて、もう一度壁を観察した。
この部屋は薄暗いし、扉はレンガの壁と一体化しているから、知らなければ此処にこんなものがあるとは誰も思わないだろう。
マルバの祖母だという先代の女帝がご存知だった可能性も極めて低いと思われる。

”神界に繋がる扉はひとつ残らず排除された”

いつか聞いた誰かの言葉が蘇る。
確信は無い。
無いけれど…可能性としては十分にあり得る。
思い立った後の行動は早かった。
計画性などまるでない。
何日扉の向こうを彷徨うかも分からない。
だけど、どうしても行ってみたい。
荷物は少ない方が良いだろう。
小さめのボストンバッグに少しの荷物を詰めて置き手紙を残す。
フレアとマリエッタには悪いが、今回は事が事なので極秘に準備を進める事にした。
置き手紙を見て慌てふためく二人の姿が容易に想像出来るが、後で幾らでも怒られるつもりだ。
こうして、私は鼻の効く二人に悟られない様に、明け方こっそりと一人旅に出たのだった。

*****

ここは本当に神界なのかしら?
一言「ここは神界ですか」と訊けたなら、それで答えが出るのに人の姿など何処にも見当たらない。
建物の中に入れば流石に誰か居るだろうと思って、一番目立つ建物に目を向けた。

なんて不思議な光景なのだろう。
西洋の建物と東洋の建物が隣同士寄り添って建っているなんて。
その二件を守る様にぐるりと取り囲む塀も、建物の境界を境にして西洋と東洋の区切りが付いていた。
近くまで来ると、その光景の異様さが更に際立って見える。
全く趣向の違う建物をどうしてくっ付けてしまったのか。
奇抜な物がよく流行る魔界ですら、こんな建物は見た事がない。
少し悩んだ末、固く閉ざされた古い木製の、東洋扉の前に立ってみた。
インターホンは何処かしら?
呼び鈴が見つからないから扉をノックしようとした、その時。

「貴女が旅人?」

背後で声がした。
振り向くと、そこに居たのは一人の女。
瞬時にこの門の中に住む者だと分かったのは、彼女自身が和洋を組み合わせた不思議な出で立ちだったからだ。

肩の上で揺れるのは金色の髪。
ターコイズの様な鮮やかな碧い瞳。
落ち着いた若草色の振り袖。
そして、その上に重ねられた深紅の袴。

つまり、彼女は西洋的な身体的特徴を持つのに反して、東洋的な着物を身に纏っていた。
しかし驚いた事に、それは絶妙なバランスで融合していて、不思議だけれど変じゃない。
何故、建物の外観でそのセンスが生かされていないのかが気になる所だが、それより、彼女に表情が無いというか…一向に笑う気配がないのが気になる。
愛想笑いくらい浮かべたって良いのに。
これじゃまるで、作られたその時から同じ表情を崩さないフランス人形みたいだわ。

「旅人?何の事?」
「主の寵愛を受けし花が朝露に濡れ、月が三度闇に落つる時、異界より旅人現れて日没の女神となるであろう」
「…何それ?」
「スクルドが詠んだ未来よ。今日がその日。そして予言通り、此処に見かけない人物が現れた」
「私の事?」
「貴女は異界から来た旅人…そうでしょう?」
「確かに旅人とも言えますけど…ああ、そうだ。此処は神界ですよね?」
「正確には第一神界アースガルド」
「第一?」
「神界は二つあるから」

…そんな話聞いてないわよ、マルバ。
でも、それがこの世の当然だとしたら、己が無知であるといきなり露呈してしまった事になる。
ゴホン、と咳払いをひとつ。

「なるほど…貴女の名前は?」
「ウルド」
「ウルド。私はリリー。突然で申し訳ないですけど、此処で一番偉い人に会わせてくださいな?」
「最初からそのつもりよ。貴女をずっと待っていたのだから」
「ずっと、って?」
「もう何年も前から。皆、貴女を待っていた」
「どういう事?」
「私は東領当主。過去を司る女神。貴女の仲間よ」
「仲間?」
「…貴女の言う”此処の一番偉い人”に会えば分かるわ。付いて来て」



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