#13 甘酸っぱい僕ら

ヘルに案内されたのはどうやら応接間のようだ。
ここも今までに見て来た部屋と同じで、やっぱり窓のない閉塞的な空間なのだが、天井全体が照明になっていて真昼のように明るいお陰か憂鬱さはそれほど感じない。
それどころか、恐らく部屋を照らすという意味ではあまり活躍していそうにないシャンデリア、今私が腰を下ろしたふかふかのソファ、彼が弾くのかどうかは定かでないが部屋の隅に置かれたピアノ…どれ一つをとっても、値が張りそう。
対する、うちの応接間はと言うと、良く言えば「アンティーク」と言えなくもなさそうな古めかしい物ばかり。
魔界の城なのだから、それなりに高い物が使われているのだろうけれど、年季の入った調度は色がくすんでしまっていて部屋全体が暗く、正直、ここと比べて見劣りしてしまっても仕方の無いような状態だ。

しかし、ここまでああだこうだと冥界の城を思うままに褒め称えて来たが、これらが全てここに住まわない者の意見でしかない事を忘れてはいけない。
幾ら豪華絢爛な調度で彩られた部屋だとは言っても、外を感じられないのではきっと息が詰まってしまうに違い無いのだから。
その証拠に…

「あの絵は貴方が描いたの?」

応接間の中でも一際大きな存在感を放つ一枚の絵。
そこに描かれていたのは「窓」だった。
絵の中の窓は開放的に開け放たれ、澄み切った青空の下、蒼々とした芝生や草花が生命を謳歌している。

「あれは僕が来たときからここにあったものだよ。誰が描いたのか分からないんだ。でも…あの絵が無くても、きっと僕は同じ様なものを描いて貰っていたと思う」

たかが絵、されど絵。
ここに住んで来た歴代のヘルにとって、あの絵はきっと心の拠り所の一つとなっていた筈だ。
確かにそれは私の憶測でしかない。
それでも、まるで絵の中から吹いた風を感じたかの様に目を細めるヘルの横顔を見ていると、皆こんな風に同じ絵を愛でて来たのではないか、と。
そう思ったのだ。

*****

軽く扉をノックする音が二回。
城主の返事を待たずに扉は開いた。
先程出会った門番とそう違わぬ丈の巨体を重そうに引きずる姿がひとつ。
頭につけた白い南国花の髪飾りが何とも愛らしい。

「お茶を持って来てくれたんだね。ありがとう。リリー、彼女がレトさんだよ」

容姿から推測するに、彼女もまたグラさんと同じ種族なのだろう。
彼と同じく口をきく素振りすら見せなかったが、ヘルの言葉にコクリと頷いて、のそのそとお茶を淹れてくれた。

「ありがとう」
「リリー、レトさんはグラさんのお姉さんなんだ」
「姉弟で此処に…二人の故郷は何処の世界なの?」
「さあ…それは僕にも分からない。言葉を話さないから訊く事も出来ないのさ。YESかNOで答えられる質問なら答えてくれるんだけどね」
「じゃあ…名前はどうして分かるの?」
「名前は多分歴代の冥王の誰かが付けたんじゃないかな?僕は先代から聞いたんだけど…もう随分長く一緒に暮らして来て、僕の中では家族同然だっていうのに何も分からないとは…本当に残念な事だよ」

やがて扉が閉まり、応接間には二人きり。
一瞬暗くなりかけた空気を一掃するかのように、彼は一度手を打ち鳴らしてから私に手を差し伸べて来た。

「さて!改めて、ようこそ冥界へ。会えて嬉しいよ、リリー」
「こちらこそ」

彼の手を固く握る。
思えば、これは冥界の長と魔界の長が手を取り合い友好を築いているという事であって、私は単に友達が増えたくらいにしか思っていないのだけれど、他の人から見れば、所謂「外交」ってやつになるんじゃないかしら。

「冥界ってもっと厳つい所だと思ってた」
「僕も実際に冥王になってここに来るまではそう思ってたさ」
「冥王って事は、貴方は男だけど魔法が使えるのよね?」
「そうだよ。僕のは感覚を奪う魔法。悪い囚人の動きを封じたりするのに役に立つって事で、十五の時にオーディションで冥王に選ばれたんだ」
「冥王の選抜ってどんな感じだったの?」
「二十五歳以下の魔法を使える男が集められて、冥王の前で色んな事をやるんだよ。あの時は三十人くらいだったかな?」
「色んな事って、魔闘みたいな事?」
「いやいや。冥王は女帝と違って、別に強くなくたって良いんだ。冥界を統治するのに有効な能力を持っている事や本人の性格の方が重要なんだよ」
「へえ…」
「じゃあ、次は僕が質問する番」
「どうぞ?」
「僕、リリーが女帝になったあの魔闘を見たんだけど、君の力は一体どういうものなの?」
「夢を見せる力よ」
「って事は、君の魔法紋が複数見えてたのも、僕が見た夢?」
「それは…言い辛いんだけど本物なの」
「言い辛い?どうして?」
「だって…反則でしょう?」

魔法紋を複数表示出来る。
それは、魔法紋を一度に一つしか描けない者が、攻撃か守備のどちらかを選びながら戦わねばならないのに対し、剣と盾を持って完全防備で戦場に行くようなものだ。
当然、後者の方が有利に戦える。
つまり、この能力が最も発揮されるのは戦いの最中であると言う事。
きっと誤って外道な力の使い方をしない様に、母は森の中に私を閉じ込めたのに、その親心を裏切って私はあろう事か表舞台にそれも女帝なんていう大舞台に立ってしまったのだ。

「そう?僕は素敵だと思うよ?…そっか。本物だったのか。いやね。正直ずっと気になってたんだ。もしかするとあの魔法紋は偽物なんじゃないかって…でも良かった。本物だったんだね」
「良かった?」
「だって…君は気にしているかもしれないけど、その能力は君にしかない特別な能力なんだよ?その貴重な人材とこうしてお喋りが出来るなんてとても素晴らしいことじゃないか」

目を輝かせてそう訴えた冥王は、いつのまにか私の手を握って「凄い凄い!」と褒めちぎっている。
此方はシビアになっていたというのに、彼の明るさを前にしては、ちっぽけな問題のように感じてしまって。
確かに、真剣に使い方を考えなければならないのは変わらない事実だけれど、重い物を背負ってしまったと嘆いているより彼の様に明るく生きている方が余っ程良い。

「ありがと」

こんな気持ちになれたのが嬉しくて素直にお礼を伝えたら、ヘルが突然「きゃわわ!」と謎の言葉を叫んでうずくまってしまった。

「どうしたの?お腹痛いの?」
「いや…いや…違うんだ」

顔を両手で覆ってうずくまるこのポーズにデジャヴを感じる。
噴水のところでも彼はこんな感じだったっけ。

「ねぇ?ヘル?」
「甘酸っぱい…」
「は?」
「ねぇ、お兄ちゃんって呼んでみて」

顔を覆った指の隙間から此方を凝視して、彼は私の言葉を待っている。
今世紀の冥王は、妹というカテゴリの女性が好きなのかしら?

「…なんで?」
「良いから。お兄たんって言って」
「…私兄弟居ませんけど」
「もぉ…焦らさないで」
「焦らしてません」

いつの間にか彼は靴を脱いでソファの上に正座し、耳を澄ませている。
準備万端か!という突っ込みを胸に抱いて大きく溜息。

「お」

ヘルの肩がピクリと動いた。

「おに……………の形相」
「なんでやねーん!鬼の形相って何?何でこのタイミングでそれ?」
「鬼の形相で一発殴るわよ。うふふ」
「いやぁぁぁぁぁ!何?リリーはSなの?攻めなの?いつからそんな反抗的な子になったの!」
「ヘルに出会ってから」
「ごめんなさーい!」

ヘルとの会話は、私にとってかなり新鮮だ。
これが所謂「友達」というものなのだろうか。
今まで母親と二人、森の奥で暮らしていたから本当がどうなのか分からないけれど、少しこそばゆい感じがする。
魔狼姉妹にもこれくらい肩の力を抜いて接して欲しいのだが、それは彼女達にはなかなか難しい事なのだろうな。

「ヘル」
「何?言う気になった?」
「…私、友達が出来て嬉しい」
「リリー」
「今まで同年代の子と話す機会がなくて…だから凄く嬉しい」

ヘルはポカンと口を開けたまま固まっていたが、やがて我に返ると微かに微笑んだ。

「僕もだよ…僕も今まで同年代の友達は居なかったんだ」

純粋に驚いた。
出会ったばかりでも明るい性格だと分かる彼が、まさか私と同じだったなんて。
私が数秒前の彼と同じ様に口を無防備に開けたまま驚いているのを見て、彼は笑った。

「リリーが最初の友達」
「どうして…」
「リリーはきっと冥界の事について文献上の事しか知らないんだね」
「どういう事?」
「冥王になるまでの事さ。良いかい?基本、魔法を使えるのは女性だけだ。男で魔法を使える人は稀少なんだよ」
「それは知ってるよ?」
「大体平均して五年に二人くらい。魔法を使える男が生まれるんだけど…魔界は女社会だろ?あんまり好まれる事じゃないんだ。迫害される事だってある。男のくせに魔法を使う女々しい奴だって」
「そんな…」
「ただし、ひとつだけ。魔法を使う男を必要とする仕事がある」
「それが、冥王ね?」
「その通り。だから魔法を使う男が生まれたら、その子を冥王にするために、母親はその子に名前も付けないで監禁するんだ」
「どうして?」
「名前を付けないのは…まぁ、験担ぎみたいな物かな。過去に、名前のない男がヘルという名を得た事があったんだろう。そういう風潮があるんだよ」
「監禁は?」
「それも風潮みたいなもんなんだけど…生者の世界に未練を残させない様にするため…かな?」
「冥界が死者の世界だから?」
「ああ」
「非道い…」
「そう思うのは、今の魔界では少数派なんだよ」
「それじゃあ…"ヘル"になれなかった子は?」
「…相当な強運の持ち主じゃなきゃ非道い人生だよ。女性優位を脅かす存在なんだからね」
「私…女帝なのに全然知らなかった…」
「しょうがないよ。それにこれは女帝がどうこう出来る事じゃないさ。風潮なんだから」
「どうにかしてあげれたら良いな…今の私にはどうすれば良いか思いつかないけど…」

力なく笑うと、ヘルは私の手を取り首をゆっくり振った。

「本当に…君が女帝になってくれて良かった」

その一言に感動出来た時間はほんの数秒。
眉を下げて、たっぷり間をとると彼はポツリと言った。

「でも、妹が良いって言ってんじゃん…」
「だから…もう…」

最後に残ったのは、力の抜けた溜息。
どうしてこの人はシリアスを維持出来ないのかしら…

*****

「そう言えばさ…最後のあの扉は少し違うだろう?」

ヘルが言った扉とは、魔闘で最後にローズ嬢を飲み込んだあの扉の事だろう。
確かに。アレを出現させる事自体は、私が先天的に司る「夢」属性の魔法ではない。

「ああ…あれね。あれは、後で取得した資格みたいな物ね」
「やっぱり。最近じゃ見なくなったけど、異世界に自分の土地を作るやつだ?」
「あら、良く知ってるわね」
「これでも冥王だからね。囚人達と話してると物知りになるもんさ」
「管理や更新手続きが大変だから、もうあまり手を付ける人がいないんだけどね。ちょっと興味があったのと、たまたま機会があったから…」
「そう言えば、あの時中に居る誰かと話してなかったかい?」
「ああ…あれね…あの中には協力者がいるのよ」
「協力者?」
「でも、一応女帝を決めるための神聖な戦いだし、第三者の手を借りるのは不味いと思って…ね」
「確かに。ちなみに協力者っていうのは?」
「うん…今度また機会があれば会わせてあげる」
「気軽に会える人じゃないのかい?」
「まぁね。私は気にしなくていいと思うんだけど…本人が…ちょっとね」
「そうか。それなら仕方ない。気長に待つとするよ」

夢館の住人。
警戒心の強い彼も、きっとヘルには心を開く筈。
その時、ヘルはどんな反応を見せるのだろう…
いつ来るか分からぬ未来を思い描いて、自然に笑みが零れた。



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