#12 蟻の巣

私の至極適当な宥めすかしにより何とか復活したヘルに連れられて、大きな噴水の裏手にある両開きのドアをくぐると、そこにはワイン色の絨毯と温かい光を放つシャンデリアが特徴的な玄関ロビーが広がっていた。
先程まで私がいた噴水の部屋は、魔界のヴィーンゴールヴでいう玄関と門の間の、あの広大な庭の様な物だったのかもしれない。
ヘルはきっとあの重いゲートを通して様々な世界に出掛けるのだろう。
しかし仮にそうだとすると、城の外に出たい時はどこから出るのか…該当しそうな扉はあの部屋には無かったから、他に勝手口の様な物でもあるのだろうか。

「…あれ?」
「ん?何かあった?」

不躾だとは思いつつも、初めて来た場所への興味からキョロキョロと辺りを見回していたのだが、ここに来て漸く、或るおかしな点に気が付いた。

「ない」
「ん?………あぁ、よく気付いたね」

何も言わずとも彼には私の疑問が分かったらしい。

「”窓”、だろ?」

そう。この玄関ロビーから見えるどの壁にも窓が無いのだ。
思えば、噴水の部屋でも窓を見た記憶が無い。

「どうして?」
「この世界には”外”がないんだ」
「どういう事?」
「つまり、冥界とはこの城の事。この城の中こそが冥界なんだよ」
「よく…わからない…じゃあ、罪を償う人はどこにいるの?」

彼は床を指差す事でその質問に答えた。

「地下?」
「ご名答。でも、ごめんね。見せてあげたいけど、いくら魔界の女帝と言えども地下の様子は他人には見せられないんだ」
「それは…別に見れなくても良いけど…外が無いって事は、つまり、この世界の王であるヘルですらこの城が実際にどんな姿をしているのか見た事が無いってこと?」
「"見た事が無い"と言うより"姿そのものが無いから見れない"ってのが正しいね。そうだな…蟻の巣を想像してくれればいいよ。そもそも冥界に住んでいる者の中で生きているのは、僕とグラさんともう一人、僕の世話をしてくれているレトさんという巨人の女性の三人だけだから外が必要無いんだ。冥界からはどの世界にも行けるしね。だから強いて言うなら、この城の外っていうのは、存在する全ての世界って事になるかな」
「じゃあ、冥界自体は案外狭い所なのね」

「……いいや。地下は魔界よりもうんと広いよ。嘆かわしい事にたくさんの人を収容しないといけないからね」

つい何分か前に見た、頭のネジの飛んだ醜態は何処へ行ったのやら。
そこには、人の心から闇が依然として無くならない事を純粋に嘆き悲しむ王の姿が確かにあった。

「そう言えば…私、貴方に会ったら訊いてみたいと思っていた事があるの」

私がそう告げると、ヘルは伏せていた目を此方に向けて話の続きを促してくる。

「人は死んだらどうなるの?」

誰しも一度は考えた事のあるテーマだろう。
多くの事を知っている母さんでも、死後の世界を知らなかった。
でも、冥王ならば…彼ならば知っている筈。
一瞬困ったように眉を顰めた彼は、次の瞬間にはまるで幼子でも見る様な慈愛に満ちた表情になり、私の頭を撫でる。

「残念だけど詳しい事は言えない…でも良い子にしていれば、また大切な人に会えるよ」
「それじゃあ…私の母さんも…私を産んで死んだ母さんにもまた会える?」
「ああ。果てしなく遠い未来になるかもしれないけど、きっとまた出会える」
「そう…また会えるの…良かった」

もう顔も忘れてしまったけれど、やっぱり私と直接へその緒で繋がれていた人のことは気になるもの。
いつかまた彼女に出会えるというのならば、今度も私の母として。
今度こそ私の母として。
生きている貴女に会いたい。



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