#11 地獄の王子様

【冥界】
地獄。生きている間に悪事を働いた者が罪を償う場所。
深く反省したことが王に伝われば解放される。
冥界はほぼ全ての世界と繋がっていて、罪を償うべき故人達はどこの世界の者であろうとこの場所に集められる。

【冥王】
冥界の王。魔界の魔力をもつ男にのみ資格が与えられる。どこの世界にも行く事が出来る権利を持つ。


一通の手紙が届いた。

女帝様へ
突然のお便りに驚かれたことでしょう。私は冥界で王子様をやっている者です。こうして貴女にお手紙を差し上げたのは他でもありません。是非とも貴女と一度ゆっくりとお話がしてみたいと思ったのです。快く引き受けて下されば幸いです。明日の正午、冥界の門にてお待ちしております。
冥王 ヘル・プルートーン21世より

「冥界の王子”様”…ねぇ……ふふっ…」

私の手には、ハートマークが散りばめられた淡い桃色の便箋。
冥王といえば、確か男のはずだったが…。
送り先である私のことを考えてくれたのだろうか。
勝手に冥王に厳ついイメージを持っていたが、拭わなければならないかもしれない。
しかし、もし冥王が髭面の大男だったとしたら…無骨な指先で桃色の便箋に言葉をしたためている姿を想像すると、自然に口角が上がってしまう。

「どうかなさいましたか?」

便箋を持って含み笑いをしている私を怪訝そうな目で見ながらも、気にかけてくれたのはフレアだった。
今は、この古城―ヴィーンゴールヴのお掃除の真っ最中である。
どうやら、先代はあまり掃除の得意な方ではなかったようだ。
至る所に綿埃が溜まっていて、まだ昼食も摂っていない時間だというのに、魔狼姉妹は二人ともすでにぐったりしている。
私もやると言ったのだが、魔狼達は頑なにそれを拒んだ。
フレア曰く、「リリー様の身の回りのお世話をするために私達はここにいるのですから、どうぞ私達にお任せください」とのこと。

こんな大きな城なのだから、一人でも多いほうが早く終わるだろうにと思ったが、彼女達のプライドがそうさせないらしい。
彼女たちの正体が狼である事が関係しているのか、一度主人と認め忠義を誓った人間には尽くしたくなる性分なのだと言っていた。
しかし、大人しく座っているのも申し訳ないので、自分の机だけでも自分で綺麗にしようと手を付け始めたときに、姉妹のどちらかが置いてくれたらしい手紙を見つけて冒頭に戻る。

「明日、ちょっと出かけてくるね」

便箋から目を話さずにそう言うと

「私達もお供いたします」

箒を持ったフレアが当然のようにそう言った。

「んー…いや…一人で行く」
「しかし…」
「たぶん、今日中に終わらないでしょう?掃除」
「それは、そうですが…」
「だから、私が出かけてる間は、お掃除頼んでもいい?」
「構いませんが…本当にお一人で?」
「うん。お留守番宜しくね?」

私の”お願い”は、その瞬間、フレアにとっての"命令"になったようだ。
彼女がそれ以上異議を唱えることはなかった。

*****

魔界と冥界とを繋ぐ特別なゲート。
それは魔界の中では、この女帝の城、ヴィーンゴールヴにしか設置されていない。
人の目につかない様にひっそりと佇むその前に、私は居る。


見るからに重そうなゲートを前に、気安く手を掛けるのは躊躇われて観察して居ると、まるで私を受け入れるかのようにゆっくりとそれは開いていった。
最初は前に立つと自動でゲートが開く機能でも付いているのかと思ったがそうではなかった。
ゲートの向こうには二メートルを越える大男が居て、その大男が左から右へ鉄製のゲートを引きずっていたからだ。

ゲートの中は明るい屋内だった。
勢いのある水の音が聴こえる。
見ると、大男の後方、部屋のど真ん中に豪華絢爛を尽くした大きな噴水があった。

「貴方が冥界の王子様?」

私の質問に大男は答えず、ただ静かに頭を振り否定を表す。

「じゃあ、貴方は門番かしら?」

大男は頷く。

「冥王の所に案内して欲しいんだけれど…」

と、大男にお願いしたその瞬間、突如響き渡るけたたましい騒音。
大男の後方、この噴水のある部屋の何処かで勢いよく扉が開いたようだが、大男が目の前にいるのでその様子を実際に見る事は出来なかった。

「なあ!グラさん!女帝さんに渡すために赤と白とピンクの薔薇を持ってきたんだけど彼女は何色が好きだと思う?ん?ちょっと待てよ?確か今度の女帝さんって薔薇家系の子に勝った百合家系の子じゃなかったか?え?薔薇なんて渡したら超気まずくなーい?うわ買い直してこようかな…今何時?え?これ約束の時間過ぎてなーい?ってか、何してんのー?」

そこまで言った所で、大男の背に隠れて見えなかった声の主がその陰からひょっこり顔を出し、彼の大きくて長い独り言は私を視界にいれた瞬間プツンと途切れる。

「あの…冥王ですよね?」
「いやあああああああああ!」

絶叫と共に目を見張るスピードで後退った冥王(仮)は、すぐに段差で躓いて豪快に転んだ。

「あの人が冥王ですよね?」

"グラさん"と呼ばれていた声無き門番に尋ねると頷いてくれたので、それは間違いないらしい。
態とらしい咳払いが聴こえて目をやると、冥王が何やら企んでいるのか微笑みを携えて此方にやって来る。

「…やあ!よく来たねー!会えて光栄だよ女帝さん。初めまして。僕が冥界の王子様、ヘル・プルートーン21世…だよ」

最後のハートを散らした「だよ」と同時に渡された一輪の薔薇の色は赤だ。

「薔薇は止めたんじゃないんですか?」
「ほう…君にはこれが薔薇に見えるんだ。可愛いねぇ」
「…薔薇ですよね?」
「そんな事より名前、聞かせてくれない?」
「薔薇…」
「ふふっ…やだ…ちょっと、ホント可愛いわこの子ったら。お父さん、この子これが薔薇だなんて…ぷふっ」
「…」

いつの間にかお父さん役に任命されてしまったグラさんだが、口がきけないので否定する事は出来無い。

「ま、君がそう思うのならそう言う事にしてあげよう」

やれやれと肩をすくめるヘルの動作には少々苛立ちを覚えるのだが、此方も良い歳なのでこの件に関してはもう考えないことにしよう。
だが、これは間違いなく薔薇だ。

「…リリー・ブランカ」
「リリーか…良い名前だ」
「この門番さんは"グラさん"っていうの?」
「ああ。本名はガングラティ。僕はグラさんと呼んでいる。言葉は喋らないけど、僕の家族みたいなもんさ」

ヘルに紹介された彼は、床に落ちていたピンクの薔薇を一輪大きな指で摘まむと、私の前に差し出した。

「くれるの?」

グラさんは頷く。

「ありがとう」

快く薔薇を受け取ると、彼は満足したのか私達に背を向けて何処かへ去って行く。
一連の出来事をしっかり見ていたヘルが「ピンクだったら…ピンクの薔薇を選んでたら僕だって…」と涙ぐんでいたので「薔薇じゃないなんて余計な嘘を吐くからよ。色は問題じゃないわ」と彼に伝えると、彼は顔を両手で覆い、肩を震わせながらそのまま座り込んでしまった。

もう…帰ろうかな…



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