#03 双子の父は

気が付くと二人の小さな双子は、俺の背中でぐっすり眠っていた。
きっと家に帰れることに安心したのだろう。
無理も無い。
あんなに暗いところで立ち往生していたんだから。
北にいる仲間と違って自分の背中は羽毛で覆われているから、快適な空の旅になっているんだろうな。

目の前には見慣れた家が木々の間から顔を覗かせている。
煙突から白い煙が細くたなびく、赤い屋根の可愛らしい家。
バルドルさんの家だ。
背中の二人を起こさないように振動を殺して慎重に地上へと足を伸ばした。
嘴でバルドルさんの家をコツコツとつつく。
すると勢い良くドアが開いて、中から見たことの無い女の人が転げ出るように飛び出してきた。
その女の人は、俺の姿を見ると直立して固まってしまった。
それもそうか。
家の前に巨大な鳥が居たら誰でも驚くだろう。
女の人から少し遅れてバルドルさんが家から出てきた。

「ああ。雀君じゃないか」
「こんばんは。この方は?」
「この人はね。ナンナ」

バルドルさんは女の人の肩にポンっと手を置きながら、彼女の名前を教えてくれた。

「ナンナ…そんなに怖がらなくても、雀君はキミを盗って食ったりしないよ」
「そ、そう…」

ナンナさんは未だに放心状態であるらしい。
俺の目を見上げたまま呆然としている。

その時。

何かが背中で動いた感覚がして。
首を捻って自分の背中を見ると、ディルが目を覚ましていた。

「おはよ」

そう言うと、ディルは寝ぼけ眼を擦りながら「おはよー」と返した。
すると、放心していたはずのナンナさんがディルの声で我に返る。

「ディル!!」
「おかーさん!!」
「ヴェルも一緒なの?」
「うん!」
「早く降りてらっしゃい!どこまで行ってたの?お父さんも心配してるのよ?」
「ごめんなさーい!」

ディルが俺の羽を滑り台のように滑って背から降りていく。

「ナンナさんって、二人のお母さんだったんですね」
「はい…あの、本当にご迷惑をお掛けしてしまって」
「いいえ。お役に立てたようで光栄です」

バルドルさんが背を降りてきたディルに歩み寄り、目線を合わせるようにしゃがみこむ。

「良かったなー。雀君の背中はさぞ寝心地が良かったんじゃないのかい?」
「うん!」

嬉しそうにディルは笑った。
どうやら気に入られたようだ。
子供は好きだから嬉しい。
でも、そういえば今まで子供に好かれたことって無かった気がするな。
切れ長の目が威圧感を与えるのかもしれない。

ディルを見ながら物思いに耽っていると、また背中で動きがあった。
見ると、やっぱり。
ヴェルが起きていた。
ディルと同様、目を擦りながらボーっとする頭を覚醒させている。

「それにしても、バルドルさんって弟さんがいらしたんですね」

ここへくる途中に発覚したバルドルさんの兄弟の存在。
結構彼との付き合いが長いから、今まで会話の中に弟の話が無かったのが不思議でならないのだが。

「ああ…言ってなかったね」
「弟さんはどちらに?」
「ああ、ホズルなら家にいるよ。二人を心配して探しに行きたそうにしてた」
「そうでしたか」

少し不思議に思った。
小さな娘達が居なくなったのに、どうして探しに行かなかったんだろう。
俺が父親なら、きっと家でじっとなんかしていられないと思うんだけど。
ヴェルがディルと同様に羽を伝って地上に足を下ろした。
それを確認して、俺は「朱雀」から「朱日雀」へと姿を変える。
ナンナさんは、俺の変身を見て目を見開いていた。
初めて見る人はやっぱり驚くものなのだろう。
自分の事だからその新鮮さはわからないけど。

「雀さん。よろしかったら、今夜うちでご馳走になってください」

彼女は、我に返ると俺の元へ歩み寄って言った。

「そんな、申し訳ないですよ」
「夫もきっとお礼を言いたがってると思いますので」
「遠慮なんかすること無いよ、雀君。ナンナ。今日は僕もお邪魔しようかな」
「”今日は”じゃないですよ。ここのところ毎日じゃないですか。お義兄さんには少し遠慮して欲しいぐらいですよ」

ナンナさんが腰に手を当ててそう言うと、バルドルさんは後頭部に右手を当てて苦く笑った。

*****

バルドルさんの家からヴェルとディルの家までは、歩いてもそう遠くないところにあった。
バルドルさんの家には度々お邪魔しているのに…どうして今まで気付かなかったんだろう。
俺はすっかり眼の覚めた双子に手を引かれながら、二人に良く似合う可愛らしい家に足を踏み入れた。

ヴェルが玄関から真っ直ぐ伸びる廊下の右側にあった扉を開けると、中からパチパチという音が聴こえてきた。
どうやら暖炉で火が燃えているようだ。
中を覗くと、暖炉の前に大きな椅子があって、そこに誰かが座っている。
背もたれで隠れて身体は見えないけど、足がこの位置から見えたのだ。
恐らく双子の父親―ホズルさんなのだろうと予想をつける。
そして、それは当たっていた。
双子に促されて部屋の中に入ると、彼女達は彼を「おとうさん」と呼んだからだ。

「ヴェル、ディル。こんな遅くまで外で遊んじゃいけないよ」
「ごめんなさい…」

ディルがしゅんっと項垂れて

「迷子になっちゃって、帰れなかったの」

ヴェルが遅くなった理由を弁解する。

「そう…もうあんまり遠くまで遊びに行っちゃいけないよ。分かったね?二人とも」

父親に叱られて、二人は仲良く肩を落とした。

「ところで―」

と、ホズルさんが言いかけた所で、ソファが少し回転して顔がこちらから見える状態になった。
ヴェルとディルが良い子に育ったのは、きっとこの人が愛情をたくさん注いだからなんだなあ、と思わせる表情を浮かべた素敵な父親は、俺の腹の辺りをじっと見つめて話し始める。

「キミは、もしかして迷子の娘達を救ってくれた命の恩人とか…かな?」
「え…あ、はい」
「ありがとう。娘達が居なくなったと聞いて心臓が止まるような思いだったんだ。キミにはお礼をいくら言っても足りないほど感謝しているよ」
「いえ。当然のことをしただけです」
「本当にありがとう。キミは…第二の神界の方かな?」
「はい。朱日雀と云います」
「はじめまして。私はホズル。眼を見て話せなくて申し訳ないね。とある理由で、両目とも光を感じなくなってしまったんだ。娘達の命の恩人の顔を見れなくて残念だよ」

ホズルさんがそう云うと、

「雀さんは…とても綺麗で優しい方よ」

と、妻のナンナさんが俺の姿を説明してくれた。

「…そうか…それなら尚更惜しいことをしたな」

盲目の神は、光を感じない瞳を寂しげに細める。
彼は…娘達を探しに行かなかったんじゃなくて、行けなかったのか。

「おとーさん!」ヴェルが父親の右手を小さな両手で握り締めて興奮気味に彼を呼んだ。
「雀はね!正義の味方なんだよ!」
「ハハ…すっかり雀さんに懐いている様だね」
「子供は好きなので、俺としても嬉しい限りです」

そう言うと、彼は少しキョトンとした後

「…それは良かった」

と、複雑そうに苦笑いして答えた。
この時、彼が見せた表情の意味を俺はあまり真剣に考えていなかった。
まさか、出会って間もない人物が”あの事”に気付いていたなんて、想像もしていなかったからだ。

「ナンナ。今日は雀さんを招待するつもりなんだろう?今日は人数がいつもより二人…否、一人か。兄さんは昨日も来ていたからね」

ホズルさんがからかう様に言うと、

「どうも一人で摂る食事は寂しくってね」

バルドルさんは居心地悪そうに首の後ろに手をやりながらそう答えた。

あれ?今…。

「怒ってるわけじゃないよ。それに兄さんが居てくれた方がナンナの料理がはかどる」
「今日は雀くんもいるからね。さぞかし、おいしい料理は出てくるんだろう」
「やめて下さいよ。変に期待するのは」
「じゃあ、ヴェル、ディル。上へ行こうか」

バルドルさんの言葉に、双子は溌剌といった様子で右手を真っ直ぐに挙げて賛成の意を表す。

「「ハーイ!!」」
「ほら。雀くんも」

と、バルドルさんには付いて来るように促されたけれど―

「俺、料理を手伝いますよ?」
「あら?得意なの?」

ナンナさんが意外そうに此方を見遣る。

「はい。これでも長く一人暮らししてますから」
「でも、お客さんに手伝わせるのは…」

困った様子をその声色の変化で捉えたのか、ホズルさんに「雀さん」と優しく呼ばれる。

「今日は娘達を助けてくれたお礼がしたい。だから、キミの手料理はまた今度ここへ遊びに来たときにお願いしてもいいかな?」

暗に、また此処に来ても良いと言われている気がして嬉しい。
その物腰柔らかな温かい提案に「もちろんです」と返すと、「今日はゆっくりしていってくれ」とバルドルさんが僕の肩を軽く叩いた。

「兄さんが言う台詞じゃないよ」
「細かいことは気にしない!」

兄の奔放さに振り回されているが、弟がそのあしらい方を心得ているおかげで、この二人の兄弟仲はなかなか良好である様子。

「兄弟…か」

…危ない。
墓場に埋めたはずの記憶が危うく蘇りかけるところだった。

不意に感じた、内臓を這い上がるような気持ちの悪さを誤魔化す為に窓の外を見遣る。
そこで輝く月は、あの時と似た姿でこちらを見下ろしていた。

*****

上の階へ上がる幾つもの足音が途絶えたのを聴いて、ホズルは溜息混じりに「ふむ…」と呟く。

「どうかしました?」
「いや…何でも無いさ」

ナンナは少し首を傾げたものの、さして気にも留めずにエプロンのリボンを結び始めた。
今日の晩御飯は何だろうか。
まだ料理に取り掛かったばかりで、匂いでそれを推理するのも難しい段階である。

「運命…か」

ぽつりと一言。
未来を予言する力は無いが、きっと予想は外れてはいない。
この事実を妻や兄が知るのはいつになることだろう。
願わくば、早くその日が訪れてくれることを。
盲目の父は、暗闇を見つめて優しく微笑んだ。



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