#02 ヒーロー

広大な森林が大地を覆う。
ここはヤルンヴィド。
しかし、正式な「ヤルンヴィド」という名前でこの森を呼ぶ者は少ない。
西領と南領の間に位置するこの森は、別名「鉄の森」。
凶暴な狼達の寝床である。

そんな危険な場所に今、二人の少女が身を寄せ合って立ち尽くしている。

「ヴェルちゃん大丈夫?」
「うぅ…」

金髪のショートヘアの少女「ディル」がもう一人の少女に声を掛けて励ますものの、金髪のツインテールの少女「ヴェル」は小さな身体を更に縮ませて怯えきってしまっていた。

「暗くなってきちゃったな…」

ディルは、木々の間から覗く茜色の空を見上げて呟く。

「ディルちゃん…ヴェルちゃん達お家に帰れるのかな…。もう…パパにもママにも会えなくなっちゃうのかな」
「そんなことない!」
「ホントに?」
「きっと、すぐに正義の味方が飛んできて助けてくれるから!」
「正義の味方?」
「うん!だから、泣いちゃダメ!」
「うん。…ディルちゃん」
「なーに?」
「正義の味方ってどんな人なの?」
「…正義の味方はね―、困ってる人を助けてくれるヒーローなんだよ!」
「かっこいいねー!」

何とか恐怖を誤魔化す様に二人で勇気付けあっていると、突然辺りが暗くなった。
今までも鬱蒼と生い茂る木々の隙間から漏れる光はただでさえ少なく、その光が朱を帯びていた為十分に辺りを照らしてくれることはなかったのだが、隣に居るはずの連れが見えなくなるかと思うほどの闇に突然呑み込まれてしまったのだ。
夜が来たのではない。
不気味な茜色の空を背にして、大きな物体が上空に浮かんでいた。
二人はその物体の影に入っていたのだ。

好奇心と恐怖で足がすくんで動けない。
影はどんどん大きくなっていく。

「やだ!こっちに来ないで!」

ヴェルは泣き出しそうな声で喚き、ディルはヴェルを守るように抱きしめながら、綺麗な瑠璃色の瞳でその物体を睨みつけて威嚇した。

やがて物体は夕焼けよりも赤い光を放ち始める。
それは次第に小さくなって人の形に収束していき、光が薄らいでいくと中から一人の男が現れた。
男とは言ったが、綺麗なミルクティー色の髪はふんわりとポニーテールにされていて、整った品のある顔と合わせると女だと紹介されても易々と信じてしまいそうなほどであった。
男だと思ったのは、実は二人の勘である。

「君達、お母さんは…?」

男は二人に目線を合わせようとしゃがみ込んで問うた。

「お母さんはお家なの」

ヴェルの言葉に、男は不思議そうに切れ長の目を丸くする。

「じゃあ、君達は二人だけでお出かけしてたの?」
「うん」

男の質問に返答したのは、やはりヴェルだった。

「そう…君達お家の方向とかちゃんと分かる?」
「わかんないの」と、またしてもヴェル。
「やっぱり迷子だったんだね」
「正義の味方だ!」
「え?」

今までじっと男を凝視したままだったディルが大声をあげた。
心なしか目がキラキラしている。
その発言の真意が分からず、何度も瞬きを繰り返しながら彼女の顔を見つめていると…

「ホントだ!正義の味方だ!」

ヴェルもそれに同意してしまった。

「正義の…味方?」

耐え切れず、男は二人の少女に説明を求める。

「うん!ヴェルちゃん達が迷子になったから助けに来てくれたんでしょ?」

男は漸く事態を呑み込んだ上で、一瞬迷った。

狼の棲み処である「鉄の森」に幼い少女が二人身を寄せていたのだから、普通は迷子だと思わざるを得ない。
この少女達の言葉から推測するに、恐らく困ったときに必ず現れるヒーローか何かと勘違いされているのだろうが、彼はそんな大それた者ではない。
しかし子供の夢を壊さない様に善処した方が何だか面白そうだと気まぐれに思い付いた彼は、否定も肯定もしないままに話を続けることにした。

「…君達の名前は?」
「ヴェル!」
「ディル!」
「俺は雀。よろしくね。ヴェル、ディル」
「「うん!」」
「今から二人のお家まで送ってってあげるから、二人のお父さんの名前教えてくれる?」
「ホズルだよ!」
「ホズル…訊いたこと無いな…」

雀は困った。
訊いたことのある名前ならば楽に事が運んだのだが、どうやら簡単にはいかないらしい。

「取り敢えず、オーディン様のところに行こうか」

悩んだ末、オーディン様なら知っているだろうという結論に至り、そう切り出した。
すると、目の前の少女達はその名を聞いて更に目を煌かせた。

「「オーディンお爺ちゃんのところに?!」」

少女達の言葉は見事に同調した。
雀は、この時初めて二人の顔立ちが驚く程よく似ていることに気付く。
双子なのか。
オーディンの元で彼の身の回りを甲斐甲斐しく世話する互いに瓜二つな二人と、目の前の二人の姿が少しだけ重なった。

「知り合いなの?」
「パパがお話してくれるんだ」と、ディル。
「すーっごく優しくて、頭の良い神様なんだよーって言ってたの」ヴェルも負けじと語る。
「そうだね。その通りだよ」

雀は目の前の二人の頭に手を置いて優しく撫でると、目線を合わせるために曲げていた膝をゆっくり伸ばした。
そろそろ行動を起こそう。
二人に「少し離れてて」と言い、彼はまた大きな赤い鳥の姿になった。

ヴェルとディルが「わぁ!」と嬉しそうな声を上げるのを聞いて少し擽ったい気持ちになりながら、雀は羽を広げて体を低くする。
何も言わずとも二人は何をすべきか分かったらしい。
互いの手をしっかり繋いで、二人は朱雀の背によじ登った。

「しっかり、つかまっててね」

雀の注意は二人の耳になかなか届かなかった。
二人とも”鳥の背に乗る”という初の体験に興奮して、それ所じゃなかったからだ。

二人の少女を乗せて、朱雀は東を目指す。
ヴェルとディルの興奮が幾分落ち着いてきた頃を見計らって、雀は二人に疑問を投げかけた。

「ところで、二人はオーディン様には、会ったことあるの?」
「んーん。ヴェルちゃん達、まだご神託受けてないの」
「そっか…じゃぁ、パパからのお話で聞いただけなんだね?」
「うーん…バルおじちゃんからも聞く」
「バルおじちゃん?」

ヴェルの口から発せられた名前を耳にして、雀はふとある人物に思い当たった。

「うん!オーディンお爺ちゃんと仲良しなんだって!」
「お医者さんなんだよ!」
「かっこいいの!!」

この時点で、薄っすら芽生えた疑惑はほぼ確信に変わる。

「バルって…もしかして…バルドルさん?」
「すずめ、どうしてバルおじちゃんのお名前知ってるの?」

ヴェルの返事の様子からして、恐らく正解なのだろう。

「知ってるも何も…俺もバルドルさんとは仲良しだよ」
「よく会う?」と、ディル。
「うん。この前も…確か、五日前くらいに会ったよ」
「「へー」」

二人は意外とでも言うような表情で互いの目を見合わせた。

「”バルおじちゃん”って呼んでるって事は、相当仲良しさんなんだね」
「仲良しさんなの!」

ヴェルが、嬉しそうに言う。

「だって」
「「パパのお兄ちゃんだもん」」

「…え?」
「「んー?」」

「…お、おじちゃんって…本当に伯父さんなの?!」
「「んー?」」

二人は雀の質問の意味が理解できなかったらしい。
恐らく「伯父」というものが何を意味するのか理解しないまま、彼のことを「おじちゃん」と呼んでいたのだろう。

「えっと、だから、二人はバルドルさんの弟の娘って事?」
「んー…そう!」

ディルは少し考えて、家系図を脳内で完成させたようだ。
ヴェルは未だに唸りながら視線を上にやって考え込んでいる。

「…オーディン様の所に行くより、バルドルさんの所に行った方が早そうだね」
「そうだね!」と、ディル。
「ホントだー!すずめ、あったまいー!」

漸く脳内で家系図が完成したのか、それとも家系図に関しては考える事を諦めたのか、どちらにしても頭の回転はディルより遅いらしいヴェルも頭上の豆電球のスイッチをONにした。

雀は、そっと心の中で苦笑しながら旋回する。
バルドルさんの家は、自らが護衛している南領。
それも、南神殿からそう遠くないところにある。
空はすっかり暗くなっているし、早く送り届けないと今頃彼女達の親は心配で顔を真っ青にしているだろう。

暗闇を舞う赤い鳥は、更なる加速を目指して風に乗る。
その羽音を子守唄に、いつからか背中では二人分の安らかな寝息が奏でられていた。



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