#13 鉄槌
「お前さ…それ龍達にも言うつもりなのか?」
鼻を啜らなくなってだいぶ俺が落ち着いたと思ったらしく、虎太郎はそんな事を尋ねてきた。
因に、善かれと思ってやっているのか彼の視線は未だに逸らされたままだ。
その行動に隠された虎太郎の好意は重々に理解しているつもりだが、鼻声はどうやっても隠せそうにない。
しかし彼の事だ。
”見て見ぬフリ”ならぬ”聞いて聞かぬフリ”をしてくれるだろうと開き直って出来る限りの平然を装う。
「ん…龍と武士くんには言わなきゃいけないと思うんだ。次の集会で言うつもり」
「そっか…大丈夫か?」
「俺は大丈夫だけどさ…向こうはそうじゃないだろうね」
「…ま。何てったって龍だからな」
「何となく言われる事は予想出来てるよ」
東領の当主を護衛している青神龍矢は、驚くほど考え方が堅い
。
恐らく、俺のこの問題だって虎太郎のように簡単には認めてくれないだろう。
それでも言っておきたい。
今までもこれからも、長い時間を仲間として共有する相手だから。
「…でもね虎太郎。俺には認めてくれる人が居るんだ。ヴェル、ディル、ホズルさんに虎太郎、故郷じゃ”父さん”だって…だから…こんなに居るんだから、龍にどんな反応をされようと甘んじて受け止めるつもりさ」
口に出してみると、意外と多くの人に認めて貰えている事に改めて気付かされて、本当に晴れ晴れしい気分になってきた。
虎太郎もそれに気付いたのか、漸く俺の顔をチラリと確認する様に見やる。
数秒見つめ合った後、また視線を逸らして小さく「阿呆か」と呟いたのが聞こえたもんだから「阿呆って言った方が阿呆なんですー」と嫌味ったらしく返してやった。
*****
「俺は性別が心と体で一致してないんだ」
集会をお開きにしようと、龍矢がまとめに入った頃合いを見計らって俺は暴露を始めた。
内容が核心に触れた瞬間から予想通りの表情を浮かべる三人。
見た目にも分かるほど狼狽えて、オロオロと目を泳がせているのは武士くん。
どうやら彼の脳内キャパシティには収まりきらない問題だったようだ。
偶々同席していたウルドちゃんは、龍矢の言い渡した修行の成果が表れているのか、やはり何も動じない。
そして問題の龍矢はと言えば、じっと目を閉じて話に耳を傾けながら眉間に見事な皺を作っていた。
全ての話を聞き終わるとゆっくりと目を開き鋭い眼光で俺を見据え、それで話は終わりか、と尋ねる。
その声から察するに、相当機嫌を損ねてしまっているようだ。
「ああ。終わりだよ」
「とんだ茶番だな。
自らの精神の土台がしっかりしていたならば、そのような悩みを抱えることも無かったであろう。我輩は失望した」
「龍矢…」
表情を一切変えずに龍矢は述べた。
今、彼から目を離してはいけない、と、この時本能的に思って。
瞬きの自然なタイミングも忘れてしまう程、龍矢の瞳の奥を一心不乱に見つめる。
離してしまったら、きっとこの話はこれでお終いにされてしまう。
しかし、どう返せばこの状況が善い方に転がるのか、龍矢に言われた「失望」という言葉がぐるぐると頭の中で渦巻いている俺には全く浮かんでこなかった。
すると、今まで何も言わず黙っていた虎太郎が、これ以上の我慢はならないとでも言うように抗議の声を発した。
「黙って聞いてりゃ言いたい放題ぬかしやがってよぉ!雀が今までどんな気持ちで生きてきたか考えてやれねーのかよ!」
普段お気楽な虎太郎が本気で怒るとこんなにも圧倒されるものなのか、とその時は冷静に思った。
そして、それは何故か心を満たした。
自分の為に虎太郎が怒ってくれているという状況が、胸が締め付けられるほど嬉しかったのだ。
しかし、龍矢に虎太郎の思いは届かない。
普段通りの調子で、ならば、お前は解るのか、と冷たく言い放った。
「女になりたい男の気持ちが…お前には解るのか」
「それは…」
「我輩は解らん。我輩は、この体に命を宿したことを誇りに思い満足しているからな。朱日の悩みは理解できん」
「龍矢の言いたいことも解る。急にこんな事言ったって直ぐにに納得できないのは当然だ…解らなくていい…だからこのま
まの俺を受け止めて認めて欲しい。それだけなんだ」
俺が必死に願いを訴える中、その声もこれ以上聞きたくないとでも言う様に、龍矢は席を立ち背を向ける。
「話にならん。我輩にお前の性癖を認めさせる前に、お前自身が自らが男であることを認めろ。この話の事は忘れてやる。二度とそのような事を口に出すな」
それだけ言うと、彼は本当にその場から去ってしまった。
ウルドちゃんも何事も無かった様な顔で龍矢の後を追う。
もう無理だ。
この気持ちを、この心を。
「性癖」などという括りで扱われてしまっては、もう何も言えない。
途端に倦怠感が全身を襲って頭を垂れていると、龍矢の足音が随分遠くなったのを聞き届けて、武士くんが気まずそうに咳払いした。
「その様子だと、虎太郎は前から知ってたみたいだね」
「おう」
「って事は、虎太郎は認めてるの」
「生きたいように生きて欲しいと思うのが親友だろ」
「確かにそれも一つの解釈だね」
「武士はどう思ってんだ」
「僕は…こういう人も居るって話には聞いてたけど、まさか身近に居たなんて思わなくて…。雀くんを傷つけたい訳じゃ無いんだけど、今すぐ正解を出す事に少し抵抗があるんだ。でも一つ言えるのは、例えそれを認めたとして、それが僕たちの使命の足枷になっちゃいけないって事だよね」
「雀がそんな生半可な気持ちで双子のお守りしてる訳ねーだろ。コイツはちゃんと親やってんだよ」
「うん。分かってるよ。雀くんはとっても頑張ってる。でもね。心って欲深いものだから、一つ満足するとまたその上のものを欲してしまうんだよ。それが大きくなっていったら何かの時に不利に働くかもしれない」
「有利になるかもしれねーだろ」
「勿論そうだよ。だから、これはもう瞬間的にハッキリ答えを出せるものじゃないと思うんだ。雀くんの今後の動向が龍矢の目に適ったら、彼の考え方も少し変わってくると、僕は思う」
「だとよ。雀」
「ん…そだね」
つまり、武士くんの答えはNO。
回りくどい言い方で何とか俺を傷つけまいと気を使ってくれてはいるが、結局の所、俺のこの面倒な気持ちが認められる事はなかったって事だろう。
しかし、彼の意見自体は全くもって筋の通ったものだ。
頭ごなしに怒って出て行った龍矢にも、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらい。
いや、武士くんは龍矢の意見を代弁しただけか。
龍矢も同じ事を思っていたに違いない。
ただ、それを説明する程の余裕が無いくらい、龍矢にとってはきっと忌々しい問題だったのだ。
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