#12 大きな一歩
虎太郎にこの話をする時が来るなんて
初めて会ったあの時には想像もしなかった
でも、虎太郎は俺の大切な親友だし
虎太郎も俺の事を同じ様に思ってくれてるって信じてるからさ
多大なリスクを負ってでも言わなきゃいけないって思ったんだ
本当の俺を見せなきゃいけないって
そう思えたんだ
一世一代の大勝負と言っても過言ではないだろう。
親友の中での自分の”順位”がたった一言で地の底へ落ちてしまうかもしれないのだから。
怖くないわけがない。
失望されるだろうか。
もう顔も見たくないと軽蔑されやしないだろうか。
考えれば考えるほど、今すぐ引き返して、今日の為に一時帰省している双子を引き取るついでに「やっぱりこの前の決心は無かった事にしてください!」と盲目の父親に叫んでしまいたい。
重圧で吐き気をも催している俺とは裏腹に、空はいっそ憎いくらいの快晴。
これが赤く染まる頃、俺はこの空に何を思っているのだろうか。
*****
今日の天候を見たときから俺が予想していた通り、彼は日光を浴びて自分の体を温めつつ惰眠を貪っていた。
芝生の上とは言えど地面は固いだろうに、体が痛くならないのか心配なのだが彼にとってはここが最高の場所なのだろう。
どうやって起こそうか思案した結果、彼の額に手加減なしの平手打ちをかましてやる。
「んぁあ?!」
案外簡単に起きてくれた。
めずらしい。
「アンタは布団か」
「…なんだ雀か」
そう言って、虎太郎は大きなあくびを一つ。
目尻に溜まった涙を拭う事も億劫そうに、のそりと体を起こしてその場で胡座をかいた。
「布団干さないで自分干すとか…やっぱ馬鹿の考える事は違うわぁ」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんですー」
「その返しもう飽きたよ。虎太郎のボキャブラリー少ないからつまんない」
「お前、人起こしといて散々な言い様だよな。いつも思うけど」
「アンタがさっさと起きないからでしょ」
「今日はすぐ起きただろー?」
「…どうせ寝過ぎて昼寝も出来ないほど目が覚めてるとかそんなくだらない理由のくせに」
「すんません」
虎太郎とのこういう小さい喧嘩は挨拶みたいなものだ。
「喧嘩するほど仲が良い」とは昔からよく言うけれど、それを地で行ってるのが俺たちだと思う。
これに今から自分の手で亀裂を入れなければならないと思うと、なかなか気が進まないな。
「で?何よ?」
何でも無い様な問いかけ。
しかし、その一言でそれまでの空気が一変した。
そう思ったのは、果たして俺だけだっただろうか。
震える様な溜息をひとつ零して俺もその場に腰を落ち着けると、ただでさえ俺より身長も座高も低いというのに習慣になってしまった虎太郎の猫背のせいで、俺は彼の視線を下から受け止める羽目になってしまっていた。
そして、その”お陰さまで”とでも言えば良いのだろうか、自然に表情を隠しながら話す事もどうやら出来なくなってしまったようだ。
「虎太郎はさ…」
「うん」
ぽつりと静かに話し始めた俺の声に真剣な相槌が返ってきて、ああ、真面目な話だってもう気付かれてるんだな、なんて思ったりして。
唾をゴクリと飲み込んで覚悟を決める。
虎太郎の顔から視線だけを逸らして
「俺が女だって言ったら…どうする?」
恐る恐る虎太郎の顔を見ると、彼は苦いものでも食べたかの様な表情で、じっと俺の目を見ていた。
「どうする?」
もう一度、今度はちゃんと顔を見て。
「どうするったって…質問の意味が分からないんですけど。どういう事?お前女なの?でもアレ付いてるよな?」
一発殴ってやった。
「痛ぇーよ!何なんだよ!」
「ごめん。ちょっと無意識に手が出た」
「逆に怖いわ!」
どうやら質問の仕方が悪かったみたいだ。
出来るだけ直接的な言い方はしたくなかったし、察してくれればそれが一番ダメージが少ないと思ってたけど、やっぱり虎太郎には期待出来ないか。
「俺さ…ずっと自分の性別に違和感を感じてたんだ」
言ってしまった。
これで虎太郎も分かっただろう。
俺が抱えている問題に気付いただろう。
「ふーん…つまり、お前は体は男だけど心は女だって、そう言いたいのか?」
「ん」
「なるほどねぇ…今日は態々それを言いに来た訳ね」
俺が力なく頷くと、虎太郎は「なるほどねぇ」という一言を、アクセントを変えたり伸ばしてみたり切ってみたり色んなバリエーションで数個、歌う様に発し始めた。
たぶん、考えているんだと思う。
間を持たせる為にやってるのか無意識なのかは分からないけれど、まるで裁判の審議でも聞いているようだ。
そろそろ「なるほどねぇ」がゲシュタルト崩壊し始めたな、と冷静に頭の片隅で思ったのと同時にそれは終わった。
「うん。じゃあ、了解でーす」
…は?
え?えぇ?
「それだけ?」
「うん。それだけ」
何を考えてるのか分からない!
単純で馬鹿の虎太郎のくせに考えてる事が全く分からない!
「…気持ち悪いでしょ?」
「何で?」
「何でって…え?俺の言った事分かってる?俺、自分の事女だと思ってるんだよ?!」
意図が読み取れなさすぎてヒステリック気味に叫ぶと、両手の人差し指で耳栓をして煩いとアピールしてきた。
どうしてこんなに余裕なのさ。
「別に、お前が自分の事どう思ってようがお前はお前だろ?それとも何?何か他に要求でもあんのか?目の前で気軽に着替えんなとか、下ネタ言うなとかそういう御法度みたいなのでも作る気か?」
「そういうわけじゃないよ…俺はこのまま何も変わる気はないし、性格的にも今まで嘘偽り無く本物の性格で生きてきたつもり。だけど、自分の認識っていうかさ…何て言って良いか分かんないけど、こういう要素もあるんだよって事を知ってて欲しかっただけで…」
「なら、それでいいじゃねーか。別に性別で親友に成れるか成れないか決めてる訳でもねーし、心の性別が見た目と違っただけで親友じゃなくなるなんて、俺等そんな脆い関係じゃねーだろ?」
息を吸い込んだきり、吐き出す方法を忘れてしまったのかと思う程胸が詰まって、上手く呼吸をするのも儘ならない。
努めて息を吐く事に集中して、心を落ち着ける。
そうだ。虎太郎に言って欲しかったのはこれなんだ。
性別など関係ないと、そう言って欲しかったんだ。
「ホントに?ホントに俺が男でも女でも親友?」
「何だよ嫌なのかよ」
不貞腐れたようにそっぽを向いてしまったその横顔は、滲んでやがて見えなくなった。
分かってるよ。泣き顔を見ない様にそうしてくれたんだよね。
だけど、少しも動こうとしないで鼻水を啜る音を聞きながら傍に居てくれてる。
「嫌な訳無いじゃん…馬鹿じゃないの?」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんですー」
ハハッ…ホントに何でかねぇ…
何でアンタがモテないのか俺には分かんないよ!ばーか!
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