#11 覚悟

「おやおや…貴重な時間を割いて態々会いに来てくれたのかい?」
「パパ!」
「ただいま!」

最初に会った時と同じく、暖炉の前の立派なソファに盲目の神は腰掛けていた。
彼の目は何も映してはいない筈だが、声の聴こえる方向や空気の流れの微妙な変化で娘達がどの辺りにいるのかを察しているらしい。
腕を広げて双子を迎え入れたその姿は、全くハンデを持っていない様にも見える。

「ご両親の立場からすれば、幾らオーディン様の後継者とは言え、まだ可愛いがりたい時期でしょう。俺が独占する訳にはいきませんよ」
「お気遣い感謝するよ。こう見えてナンナはとても寂しがっていたからね。"こんなに早く巣立つとは思ってもみなかった"と毎日の様に零してるんだよ」
「アナタ止めてください。子離れが出来ない親だと思われては恥ずかしいわ」

双子を腕に抱えてそう言った母親だが、夫の発言を窘めているにしてはとても幸せそうな表情を浮かべている。

「ところで雀くん、今日は急ぎで帰らなきゃならない用事はあるかい?夕飯をご一緒したいんだけれど」
「いえ…双子も両親と過ごす時間が欲しいでしょうし、ホズルさんさえ良ければお言葉に甘えようと思っていました」

実は、この家にお邪魔すると毎回ナンナさんの手料理が振舞われていて、本音を言うと、"値が張る"という意味では無いにしても、趣向の凝らされ手間暇を掛けた豪華な家庭料理を目の当たりにする度、結構申し訳なく思っているのだが…

それでも、幼い双子に家族団欒の時間を与えてやりたいと思うのは、自分が家族の事で後悔している事があるからだろうか。

「そうか。それならゆっくりして行くと良い。ここは君にとってももう一つの家のようなものだ」
「家…」
「私達の大事な娘の親代わりだからね。家族も同然…だろう?ナンナ」
「ええ。もちろん」

過去に置き去りにして来た家族の姿は、こんなにも温かい物だっただろうか。
随分前に別れを告げた"生みの"親は、この盲目の父親のように子供を…俺を愛してくれていたのだろうか。
最早、確かめる術も断たれてしまっているけれど、もしそうだったとしたら俺は…俺は…

「…ありがとうございます」

取り返しのつかない事をしてしまったんだね。


*****

「それで?」

ホズルさんが意味深に話を促したのは、ナンナさんと双子が夕飯の準備をすると言って買い出しに出掛けた後の事だった。

「何か訊きたい事があったんじゃないのかい?」

そんな素振りは全く見せなかった筈なのに、どうして分かったのかは思い図る事もできない。
しかし確かに、俺がここに来たのは純粋に双子の里帰りのためだけでは無かった。

「貴方には、人が心に負った傷を知る力があると聞きました」
「ふむ…如何にも」

双子から聞いたホズルさんの力。
それは、幸か不幸か俺の隠していた秘密をも透視してしまうであろう力だった。
実際。
彼が俺の事を、俺の隠したい秘密の事を、何処まで知っているのか。
これは、それを確認するという目的も含まれた双子の里帰りなのだ。

それなのに、全てを自分の口から晒すのには、まだ気持ちの整理が出来ていなくて。
モゴモゴと未練がましく足踏みしていると、分かっているよ、というホズルさんの優しい声が脳内に染み渡るように降りて来た。

「…そうですよね」
「娘達に話したのかい?少し楽になった様に感じるけど」
「二人には早い段階でバレてたみたいで…ディルが俺の背中を押してくれました。きっと、彼女達がきっかけを与えてくれなかったら、こんなに気持ちが楽になるなんて事はなかったと思います」
「そう…それは…難しい問題だけれど、君の中で区切りがついたのならそれ自体はとても良い事だと思うよ。でも、区切りを迎えて、これから君は何か変わるつもりはあるのかい?」
「変わる…」
「心が女性である事を公言して生きて行くのも良いよ。それは君の選択の自由だ。でもね。これはなかなか全ての人が素直に受け入れてくれる問題じゃない。きっと君は今まで以上に辛い思いをする事もあるだろう。だから、生半可な覚悟でリスクを背負って欲しくないんだ。でも…それでも、自分を偽る事無く正直に生きたいというのなら僕は心から応援するよ」
「ホズルさん…」
「もう、心は決まっているのかい?」
「…これが正解かは分かりません。でも…護衛という重要な職務を任されたからには、それを遂行する事が自分に課せられた義務だと思っています。そこに女だ男だなどという私情は全く関係のない話です。だから…俺は今までとなんら生き方を変えるつもりはありません」
「ほう…」
「でも…あの三人には…同郷の仲間には…知っていてほしい。特に…今まで支えてくれたアイツには…知らせなきゃいけない事だと思うんです」
「怖くないかい?」
「怖いですよ。アイツは俺を救ってくれた恩人なんですから。その恩人に愛想尽かされたら…もう終わりですよね。でも、これ以上嘘を吐いてはおけない」
「人は誰しも知られたくない秘密を抱えているものだよ。親友くんも、もしかしたら雀くんに言わない秘密を隠しているかもしれない。それでも、君は言うのかい?」
「それでも言います。虎太郎には知っていて欲しいんです。例え理解してくれなくても」
「ふぅ…君は相当、その”虎太郎くん”とやらを大切に思っているんだね。覚悟が出来ているなら大いに結構。君の信じた通りにやってみれば良い。それでもし…思い通りにならない結果になったとしても覚えておいてくれないか?君には、君の本当の姿を認めている娘と僕が付いてるって事を」

そう言ったホズルさんの笑顔は、全く似ていない筈の父親…俺の"育ての"父親が、俺の本当の姿を知った時に見せたものにとてもよく似ていた。



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