#10 ホントの理由

「…謝らないよ」

ディルは布団の中に潜り込んだまま、俺に背を向けるように小さな体を丸めている。
腹を括って帰ってきたというのに、さっきからずっとこの調子だ。

「すずめが悪いんだから」
「うん」
「ディルは何も悪いことなんか…」
「ごめん。ディルの気持ち俺が一番分かってあげなきゃいけなかったのに…ズボン穿きたがるくらいで、何であんなに怒鳴っちゃったのか…」

今日は相当カリカリしていたんだろう。
こうやって時々情緒が不安定になるのは実のところ自分でもちゃんと気付いているのだが、仮にも二人の娘の親となった今こそ、その性格を治さねばならぬ時かもしれない。

「ちがう」
「え?」
「ちがう!」
「ディル?」
「ちがうちがうちがーう!!」

素直に謝ったというのに、ディルはまた癇癪を起こして布団を蹴り上げてしまった。
どうやら彼女が望んだ回答ではなかったらしい。

「ディルはそんなことで怒ってるんじゃない!ズボンのことも怒ってたけど、そっちは小さいの!」
「じゃあ…何に怒ってるの?」
「すずめが我慢してるから…すずめが…ディル達に何も言わないから怒ってるの!」
「それは…」
「"俺"なんて言わなくて良い!ホントは女の子でいたいんでしょ!?何でそうやって隠すの!?…いつになったら、ホントのすずめになるのかなって思ってた。ずっとディルもヴェルちゃんも待ってるのに…」

驚いた。
この小さな女の子は、俺が抱える難しい問題に答えを出そうとしてくれていたらしい。
抱える本人ですら怯えて逃げ出した程の問題に。
彼女たちは勇敢にも立ち向かってくれていたのだ。

「…そっか…ヴェルもディルも…俺が想像してたよりもずっと大人だったんだね…」

さすが、オーディン様の後継者って訳だ。

「ありがとう」

瞳に膜を張り始めた涙は、一旦流れ始めると止まらなくなりそうで…それを隠すように、既に感極まって涙を流すディルをそっと腕の中に収める。

「別に…お礼言われるような事じゃないもん」
「いや…十分だよ…十分過ぎるよ」
「もう隠さない?」
「…二人にはもう隠さないよ」
「…うん」
「他の皆には…まだ…言えないけど…」
「うん」
「俺は二人が分かってくれればそれで良いんだ。十分だから」
「すずめは辛くない?」
「ああ…辛くないさ。俺を認めてくれる人が二人もいるんだ。辛いもんか」
「"俺"って言わなくて良い」
「…これはケジメだよ。二人の護衛としての」
「ケジメ…?」
「ああ。本当の俺をちゃんと見てくれる、大事な娘を守るためのケジメさ」

*****

その頃。

「すずめぇ…どこぉ?」

家を飛び出した雀を追って、ヴェルは随分と遠い所まで来ていた。
気の利いた光もない状況で次第に暗闇に慣れてきたその目に映るのは、彼女の周りをぐるりと取り囲み鬱蒼と茂る森。
いつもより少し敏感になった聴覚は、木々のざわめきや遠くで獣が慟哭するのを律儀に拾っている。

雀との関係を終わらせたくなくて、知っていた事にも知らないフリ。
雀が自分達に心を許しきってくれていない事にも気付かないフリ。
最初はそれで良くても、一緒に過ごす時間が長くなるに連れて目を背けることですら辛くなってきていた。
暗黙の了解でそうしてきたけれど、ディルも相当参っていたのだろう。
表面張力を破って溢れ出るディルの気持ちは、ヴェルにも痛い程よく分かった。
ただ、先に溢れてしまったのが妹だっただけ。
ヴェルの限界ももうすぐそこだった筈だ。

人気の無い暗い森に幼い子供がたった一人。
自分の方がよっぽど不味い状況にあるというのに、ヴェルはまだどちらかと言うと雀の身の方を案じていた。

恐れているのは雀に襲い掛かる悪役顏の魔物などではなく、雀が自分で自分を傷つけていないかどうか。
それを救うのは自分の役目だと言い聞かせて、彼女はあてもなく歩き続けていたのだった。

「お困りかな?ツインテールのお嬢さん」

人の気配など全く無かった中で突然聴こえた男の声。
ヴェルは声も無く飛び上がる程驚いた。

「こんな夜中にかくれんぼかい?」

暗闇に慣れたとは言っても、やはりまだ暗闇には違い無いわけで。
ぼんやりと体の輪郭は分かるのだが、その正体を完全に見極めるには至らない。
しかし、幸運にも雲の切れ間から射した月の光が、木々の間を縫って男の顔を照らし出した。
オレンジ色の暖かそうな髪色とは対照的に、その表情は笑っているのにどこか冷たい。
危ない人であれば、自分はちゃんと逃げられるだろうか。

「…だれ?」
「優しい悪魔とでも名乗っておこうかな…?」
「悪魔なのに優しいの?」
「悪魔にだって色々あっても不思議じゃないさ」

今までに会った事の無い種類の人だとヴェルは思った。
故意に不思議なオーラを振り撒いて、何を考えているのか容易に悟らせまいとする所がどうも好きになれない。

「…ここ…どこ?」
「ここは鉄の森、ヤルンヴィド。狼の住む森さ」

やけに楽し気で且つ、無意味に恐怖を煽る物言いに背筋が凍ったその時。
ヴェルの背後の暗闇から大きな獣であろうものの唸り声が聴こえた。

得体の知れない男でも、意思疎通の図れない獣よりはマシだろうと瞬時に判断し、殆ど無意識に男の背後に隠れ込んだヴェルは、何も言わずそのままで居てくれた男の表情を仰ぎ見て後悔する。
とても冷たい色をした目で暗闇を見つめ、彼が不気味に笑っていたからだ。

それに気を取られている間に、獣は直ぐそこに来ていた。
暗くてはっきりと分からないが、狼ではなさそう。
白い毛並みと四足歩行の大きな図体が見える。
あれ?と思った時には、声に出していた。

「こたろー?」
「お。やっと見つけたぜ…大丈夫か?」

現れたのは、自らの身を守るために勝手に盾にした男よりもうんと安全な人物だった。

この暗闇の中でも少ない光を集めて自らを主張する、雪のような白い体。
薄めの墨汁で軽く撫でたような模様。
ギラギラと光る黄金色の瞳。
その全てがヴェルに安心を与える。
雀の大親友、白石虎太郎がそこにいた。

*****

「君は確か…オーディンの下僕の白石くんだね?」

ヴェルと一緒に居たのは、妙に笑顔がいけ好かない優男だった。
人型に身を変えてその男の前に立つと、ヴェルが慌てて此方へ走って来る。

「…オメーどっかで見た顔だな」

何かを思い出した訳では決して無いが、俺の直感が自分の思考の及ばぬ所で、コイツとは初対面では無いと判断している。

「見た事があったって不思議じゃないさ。僕の家は西領にあるからね」
「何でこんな時間に南領にいんだよ?」
「散歩みたいなものさ。それより…君が迎えに来たということは、もしかしてこの子は西領の当主かい?」
「…いや…ただの知り合いの娘だ」
「そうか…西領の当主様にお目通りが叶ったのかと思ったけど…残念だ」

嘘は吐いていない。
コイツは西領じゃなく南領の当主なのだから。
しかし、意図的にそれを隠した後ろめたさで、感情の籠らない淡色の瞳が疑り深く俺の頭を見透かそうとしているように感じてしまう。

そんな中、当の本人であるヴェルはと言うと。
俺の思惑を知ってか知らずか、何か言いたそうな顔で俺の袂を不安気に掴んでいた。

「じゃあ、話はここいらで終わりにして俺達は帰っか」

無理矢理に話を切り上げ、優男から逃げるように俺は帰路を急ぐ。
何故こんな夜中に狼がウヨウヨ徘徊する鉄の森にいるのかとか、何故あんな足場の悪い森の奥にゃ似つかわしくもない小綺麗な身なりなのかとか。
色々とおかしな点はあった。

「こたろー?」
「んぁ?」
「何でさっき…嘘吐いたの?」
「さぁな…勘ってやつ?…何となく言っちゃいけねー気がした」

そう。本当に何となく。
手の内を晒したら何かが起こる気がして。

「ふーん…こたろーの勘って当たるの?」
「おぅ。疑うんなら雀に聞いてみろ」
「ヴェルちゃん、疑ってないよぉう」
「ホントか〜?」
「ホントだもん!ヴェルちゃんこたろーみたいに嘘つきじゃないもん」
「俺だって普段は正直もんだろー?」
「…」
「…ヴェル?」
「え。ごめんよく聞こえなかった」
「おい」
「ところで、すずめはどうなったの?」
「今頃、ディルと仲直りしてんじゃねーか?」
「そーだといーなー!」
「で、そもそも喧嘩の原因って何だったんだ?」
「言わないもんっ!」
「あ?」
「内緒だもん♪」
「ケッ!ま。ディルに聞くか」
「ダメ!ディルちゃんも教えない」
「じゃあ…」
「すずめも教えないよ。こたろーはまだ知らなくて良いの」
「そーかいそーかい」

*****

こたろーはそれ以上何も聞いてこなかった。
でもね?
すずめを助けられるのは…もしかしたら、こたろーだけかもしれないんだよ?

「こたろーはすずめのこと好き?」
「まぁ、一番付き合いの長いダチって言っても過言じゃねーからな」
「すずめが苦しんでたら助ける?」
「当然だろ」
「良かった!」
「何?雀、何か悩んでんのか?」
「知ーらない!」
「はぁ?」
「こたろー!」
「何だよ」
「好きー!」
「へいへい。あんがとよ」
「でも、すずめの方がもっと好きー!」
「…いや。良いけどね。別に嫉妬とかしないけどね。地味に凹むのどうしてだろうね」

うそだよ!
すずめもこたろーもだーいすき!



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