#01 浜辺にて

海の直ぐ傍…最早、海も庭の一部だと言ってしまっても良いくらいの場所に佇む南神殿。
波の寄せては返す音がこの世界を支配していた、夕暮れ時。
彼は浜辺に置いてある丸太に座って、ぼんやりと海を眺めていた。
ミルクティー色の髪が潮風に靡く姿は一枚の美しい絵画の様なのだが、夕日を反射した水面を眩しそうに見つめるラベンダー色の瞳は、一切の感情が宿っていない冷ややかなものだった。

突如、彼は砂を踏みしめる音を聴いた。
その音は、真っ直ぐ彼に近づいてくる。
そして近いとも遠いとも言えない微妙な距離を保った所で、その足音は止まった。

「あの…!」

聞こえてきたのは若い女の声。
勿体つける様にゆっくりと振り向いた彼がその姿を視界に収めると、彼女は目を大きく見開いて息を呑んでいた。

「何?」

彼が真っ直ぐに女を見つめたまま、男にしては少し高めの美声で問い掛けると、女は全身が歓喜に震えるのを感じた。

「私…最近初めてこの辺りに来たんです」
「そう」

女の話に簡単な相槌を打った彼は、女に話の続きを促すようにその瞳の奥を見つめる。

「そ、それで…」

恥じらいからか彼女の声は次第に小さくなっていくが、彼は女に声を掛けて話を促す事もしない。
ひたすら無言で言葉の続きを待った。
暫しの沈黙の後、決心がついた女は大きく深呼吸をした後、俯いたまま告げる。

「私…貴方をす、好きになっちゃって…」

声は小さかったが、波音に消されること無く女の想いは彼の耳に届いた。

しかし、女のありったけの勇気を込めた告白だというのに、彼は眉一つ動かさずじっと女を見つめたまま。
彼から何も言葉が返ってこないことに不安になり、女は恐る恐る彼の顔を見た。
目が合ったのを確認すると、漸く彼は薄い唇を動かす。

「俺の名前知ってる?」

女にとっては予想外の一言だったが、初めて彼から質問されたことで頬を紅潮させながら首を横に振る。

「じゃぁ…俺の何を知ってるの?」

女は答えられなかった。
この場所を初めて訪れた時に彼を見かけて、その美しさに心を奪われて忘れられなくなって以来、 何度もこの地に足を運び彼を垣間見たものの声を掛けたのはこれが初めてだったのだ。
いつ来ても、彼はこの場所で海を見ていた。
稀に友達と一緒に座っているのを見たことがあったけれども、何を話しているのかは波音が邪魔して聴くことは出来なかった。

「私、知りたいんです。貴方のことを。これから」
「へぇ」

どこか他人事のような彼の言葉に、女は心が折れそうになる。

「駄目ですか?そういう始まり方って」

彼は、少し考えるように目線を上にずらした。

「ううん…そんな始まり方も良いと思う」

彼が冷ややかにそう言うと、彼の言葉に望みがあると思ったのか、女は胸を高鳴らせる。

「でも、俺はキミの期待しているような男じゃないよ」
「え…?」
「俺には、キミの気持ちは受け取れない」
「…私が知らない女だからですか?」
「それもある」
「他にもあるんですか?」
「…キミは俺の外面を見ただけだ。きっと後悔するよ」
「そんな…私には分かります。貴方はお友達と居るとき、凄く楽しそうに笑ってて…素敵な方です」

今まで一貫して冷ややかな態度を取り続けた男はそれを聞くと、女に見えない様に自嘲的な微笑みを浮かべた後、女の姿をもう一度その瞳に収めた。

「好きになってくれたことは純粋に嬉しいよ。キミの気持ちには応えられないけど、ありがとう」
「狡いです。そんな言い方されたら諦めきれなくなっちゃいます」
「ごめんね」
「私、また来ます。自分が貴方に見合う女になったと思ったときに。だから、まだ好きでいてもいいですか?」

精一杯の女の言葉に対して、彼が微笑みを浮かべると女は、それを『肯定』と取り、一度お辞儀をして彼に背を向けた。
軽快なリズムで、女の足音は去って行く。
彼は、その後姿を見えなくなるまで見つめていた。
冒頭で海を見ていたときと同じ、一切の感情を殺したような無表情で…

しかし、”無表情”であるからには”無感情”であるはずの彼の心の中が、嫌悪と懺悔の入り混じったヘドロの様な気持ちの悪い色で充満していたことを彼女は知らない。

「ヒュー。さすがだな。色男」

彼の視界の死角にあった岩陰から、男…白石虎太郎が顔を出した。

「盗み聞き?趣味悪っ」

拗ねた様に目をジト目にする彼…朱日雀の表情は、先程までの冷ややかな対応を微塵も感じさせない。
ついさっきまで事態を目撃していた虎太郎は、彼が無理に感情を作っているのでは無いかと思わずにはいられなかった。

「…何だよ。そんな言い方しなくたって良いだろ?」

虎太郎が右眉を上げて不機嫌に言うと、丸太にずっと座っていた雀はフゥっと溜息を吐いた。

「まぁ、虎太郎が最低なのは、今に始まったことじゃないか」
「ひっでぇ。…それよか、また告白かよ。雀は本当にモテんのな」
「男にも女にもね」
「確かに、お前は男にも女にも見えるからな」
「…モテたってしょうがないよ。本当に好きな人が振り向いてくれないんじゃ…」
「え、何!?お前好きな人居んの?」
「悪い?」
「だ、誰?俺の知ってる人?」

興味津々に目を丸々とさせる虎太郎の神経を態と逆撫でする様な挑発的な笑みを浮かべ、雀は人差し指を口元に添えた。

「内緒」
「何だよ。俺らの仲だろー?」
「言いたくない」
「えー。言ってくれたら、協力してやんのにー」
「アンタが動くとややこしい事になるから結構です」
「何でだよー」
「そうやって、何でも何で何でって訊くと、女の子から嫌われるよ?」
「マジ?!これのせいで、今まで女運なかったのか…!!」
「虎太郎の場合、他にもいっぱい原因あると思うけどね」
「どこ?!」
「さぁね。自分で考えな」

そう言うと、雀は「よいしょ」と声を発して丸太から腰を上げた。

「分かんねぇから訊いてんだよ」

眉間に皺を寄せて不満げな虎太郎に対し、

「ってか、モテたいんだ」

雀は意地悪そうで且つ妖艶に微笑む。

「そ、そりゃぁ…モテ無いよりはモテた方が良いだろ」
「顔赤くしちゃって」
「アホか。照れてねぇよ」
「はいはい。…それより、何か用事があって、こっちに来たんじゃないの?」
「ああ。晩御飯集りに来た」
「そんなことだろうと思った」
「流石、雀」
「おだてたって品数増えないから」
「ヘヘッ。了解了解♪」

二人は陽が落ち、薄くなり始めた影を連れて家路を急ぐ。
背後で漣をたてる海の色は、雀の苦悩を吸い込んだかの様に、単純に空を映したものにしては深く悲しい色をしていた。



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